―― < 精神革命 > ――

2005.08.23 Tue

人間の考え (自分の考え)

「人間の考え」という響きは客観的であるが、またその反面、よそごとになり易い。
「人間の考えの不確かさ」とか、「人間の考えの傲慢さ」などを取り上げる場合、その実態を知るには、「自分の考え」に焦点を合わせることだと思う。
人間が「人間の考え」に自信を持っている、そこから来る「人間の考え」主導の営み。つまり・・・、
自分が「自分の考え」に自信を持っている、そこから来る「自分の考え」主導の営み。しかし、この自覚がとても薄い。
「人間の考え」とは、どういうものか、を知ることと同時に、今に至る人間界の営みは、どのような「人間の考え」によるものか、検証することかと思う。
「人間の考え」の状態や作用を具体的に調べていくということ、それは一般論ではなく、実在する「人間の考え」を調べることであって、
「自分の考え」の状態や作用、「個々一人一人の考え」の状態や作用を調べることだと思う。
実在する「人間の考え」は、どのようなものか。
それは、今の「自分の考え」が、どのようなものかを調べることから始まる。

2005.08.22 Mon

予科課程 合宿研鑽会 より

画期的な初の試み、かつてない一週間でした。10人の実験台、その後は如何が?

参加者の一人一人が、研鑽会の内容や感想を喋らないで、態度や行動に滲み出るものを観たいです。

後半にやった二つの「なぜ」の問いを常に忘れないで、問い続けて欲しいです。
これは、研鑽体得への具現方式かとも思います。

一週間に一度くらいは寄って、継続的に中間報告会をやっていきたいですね。

予想した通り、殆どの人が、一週間では、いけなかった。
また、できることなら、もう一週間、入ってみよう。
それでも、だめなら、もう一週間、それでもだめなら、もう一週間・・・。

研鑽会でも日常でも
自分で考えて、自分を出さないのは、「自分の考えに自信がある」証かな?
寡黙 控え目 おとなしそう 奥ゆかしそう 反省調・・・ムッツリ我ん固
出さない人、黙っている人は、自分が大変な自信家であることに気付かない。

自信がないと、思いや考えも、どんどん湧いてきて、どしどし出したくなる。

2005.08.15 Mon

感覚・・・

感覚という観点で調べてみると、日常生活の殆どが、自分の感覚で判断し行動していることが分かる。
何を食べようかとか、どれくらいの量にしておこうかとか、エアコン使おうかとか、設定温度下げようかとか、・・・
また、緻密に費用計算して、それだけの費用をかけてやるか、やらないか、の判断も結局は感覚。「費用」対「効果」なんて言うけど、比べられないものを比べて、やっぱり最後は感覚。
近い方の道を行くために、距離を測って決定するというのは感覚ではないけど、「近い方を行く」という出どころは感覚。

感覚で判断・行動している、感覚に重点を置いている、ということを間違いとか、おかしいと言っているんじゃなくて、こういう事実・実態を知るというか、もっと、もっと認識することかと思う。
随分、確信もったり、絶対間違いないとか、絶対おかしいとか、変だとか、良かったとか、・・・凡てと言ってもいいくらいに、その人の感覚ではないか、とも思う。
こう思うのも、私の感覚。
となると・・・、・・・・・・ つづく

2005.08.13 Sat

今夜は・・・

明日に備えてという訳ではないけど、今日は幸福研に行かなかった。
幸福研には各地から、いろんな面々が参加してるとのこと。賑やかで、楽しそう。

研鑽体得予科課程前夜
 なぜ、研鑽、研鑽と、そんなに研鑽にこだわるのかと、自問。
 研鑽の言葉は数え切れない程、使ってきたけど、
 研鑽よりも、信じて事を行なう方に力を入れていたのではないか。
 見映えや現象面の効果を望んでいる体質か。
 なぜ、それではいけないのか。なぜ、研鑽なのか。

 やはり、人間の傲慢さ、人間が設けた価値観・善悪・規範・道徳・法律・などでは、絶対に人間同士仲良くなれない、争いが絶えない。

 まず、人間が人間を知る(自分が自分を知る)。人間の存在・位置・役割り・能力・成り立ちを知って(自覚して)、人間らしく生きる。

 それには、今までの人間のように、人間の考えを振り回していてはダメだ。
 人間は人間自らを知って、これでいいのだろうか、間違っているのではないだろうかと、絶えず人と共に見直し見直し、正しく生きて行こうするところに、人間らしさが顕われるのではないだろうか。

2005.08.13 Sat

あしたから・・・研鑽体得・・・

「盲信」って自覚のないもののことらしい。
信じ込み、思い込み、キメツケ、自覚のない「自己盲信」

客観に立ってこそ自覚が生まれる。事実を見る聞く=「客観」 自分を客観する。
それには、自分の思い、気持ち、感情など、そのまま出して捉えてみる。
客観しようとして、自分の思い・気持ち・感情など、いけないものとして引っ込める人がいる。ますます、自分が見えない。

朝起きる時も何か信じていないか、食事をする時も何か信じていないか、テレビを見る時も何か信じていないか、楽しい時、嬉しい時、面白い時、感動する時、何か信じていないか、・・・
信じている状態は、固定キメツケがベースにある。より本当を指向する考えが止まっている。

研鑽生活していますか?
「いいえ、してません。」 これこそ最も頑固、自己盲信、自信過剰・・・。
盲信生活していますか?
「・・・・」

やはり、自分に自信があるから、自分で考えて自分で行動してるんだと思う。
研鑽は、人と話をする等の形ではない。その人の内面のこと。
研鑽がないのは、その人の自分に対する自信の現われだと思う。
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