客観的観察力 科学する力

これらは人間の知的能力で、能力をつけるのが目的ではなく、この能力を伸ばし、心の育成・人格の形成を行い、幸福な人生を営むのが目的。

学習的知能により、道徳、宗教、思想、知識などを蓄積して、心に働きかけるのではなく、
蓄積した様々な決めつけ、固定概念から心を解放し、人としての生きる力、正常・健康を志向する心のエネルギーの発揮を待つ。

この心のエネルギーが基になって、人としての心が育まれ、人格が形成される。
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客観的に観察する能力 5

この能力により、自然、「無我」「無我執」「無所有」「一体」の領域に入っていく。

イメージとしての「自分」 構築してきた「自分」
本当の「自分」 今ここで生きている「自分」

観察により、この違いに気づけるようになる。
イメージではなく、本当に生きる。
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客観的に観察する能力 4

参考図書
「壊れた脳 生存する知」山田規畝子 講談社

脳梗塞で高次脳機能障害(認知障害)に陥った医師が、自分の病気について観察した記録。以前テレビドラマ化された。認知障害ゆえに客観的観察能力が発達した様子。障害のない人が自分の認知方法を客観視するには、逆にかなりの自覚が必要になるのではないか。

あとがきより
「...認知的な障害を回復させるための最も重要な鍵は、自己の欠損を洞察する力である。自分の心が自分の心の障害に気づく、ということである。自分の障害と言っても、身体症状ならばまだ見えるが、認知過程というものは見えるものではない。この見えないもの、自己の内なる異常に気がつくのと、まったく気がついていないのとでは、障害に対する心構えに天地の差が生じてしまう。欠損に気がつくということは、能力低下の領域を客観視できるということである。...懸命に自分の行動を観察し、失敗に気づき、なぜ失敗したのかを反省している。...」
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客観的に観察する能力 3

人間の認識は、いくつかの感覚器官の機能を通じて脳が行っているようだ。
見る、聞く、味わう、臭う、触れる、感じる....
日常の認識も複雑に見えるが、基本的にこれらの感覚の複合であるにすぎない。
ならば生きる基本トレーニングとして、各機能を正しく使えるよう、分けて練習してみることが効果的だろう。スポーツの練習やリハビリのように。やれば着実に能力が伸びるはず。

何かを見て、見えた像、それに対する思考、思考に対する心の反応。
何かに触れて、その感覚、感覚に対する自分なりの意味付け、それに対する心の反応。

これら自分の中のプロセスに対して客観的に観察してみる。
実際、自分はどのように生きているのかを観察してみる。

客観的な観察ができて、はじめて異常に気づくことができるし、異常の修正をし正常に戻すことができる。気づかない限り、異常があってもそのまま放置され何も変わらない。
客観的な観察ができないと、考えても調べても、研鑚にならない。
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客観的に観察する能力 2

「見る」とは異なる能力。見ている自分を観察する能力。
考えている自分、思っている自分、喜んでいる自分、怒っている自分。
「○○している自分」を観察する能力。
客観的に観察する、には主体(自分)がない。
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