社会を知るためのコースに参加して(人間についてあれこれ③)

「思い」「考え」とは別に、言葉で「心」と表現する何かがある。
心コロコロと言うような、その時その時の心の状態。
産まれてから現在までに形成されてきた心の状態。
肉体を健康状態に保とうと働いているものがあるように、心にも健康正常な状態を保とうとするものが常に働いていると思う。

肉体だけで産まれてくるのではなく、心も宿っていると思う。
肉体同様、心も育っていくもの、育てていくもの。

性同一性障害などと言われているこのことからも推察するのだが、人間の本体は肉体ではないと思う。(肉体が本体なら、その肉体に心が合うようにしていけるだろう。)
精神面の方が人間の本体で、その人といえるのではないだろうか。
肉体面で男性女性があるように、心の面でも男性女性があるようだ。
性という点では精神面でも、全く異なる、混じり様の無い、くっきりしたものなのかなと思うようになってきた。

鮭などは適した場所に受精卵を残し、親は死んでも自然界の中で育つが、人間は産んだだけでは育たない。
周囲の人々の保護育成のもと自分が育つ時期を経て、自分も子供を育て次代の人々がより良くなるように生きる。それだけの寿命があり、人生というものかな。
原始時代から人間は人間同士助け合って生きてきたのだろう。
今でも自分だけ、あるいは家族だけで、他の人の力を借りることなく衣食住全てを賄うことは不可能事に等しく、仮に出来たとしても、とても人間らしい生活とは言えず、その代で消滅する。
「ひとと共に」生きようとするものは本能的に具わっていると思う。
「ひとと共に」という心の状態が普通で正常だと思う。
言葉や文字もそういうところから生まれてきたのではないだろうか。
人間が人間らしく生きるために、社会が造られてきたのではないだろうか。
しかし現状の社会はといえば、人間が人間らしく生きられる社会とは言えず、現状から本来の人間社会になっていくための、方法研鑚、実行研鑚がこれからの課題かな。
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人間について あれこれ ②

人間は言葉を使う。
地域によって使われる言葉が違って、その言葉を知らなければ、その言葉は使えない。
自分の体験と、その時まわりに居る人達から聞いた言葉とが結びついて自分の中に記憶され、徐々に自分がその言葉を使った時の相手の反応等からも自分なりに理解していくのだろう。
言葉が違っても通訳できるということは、言葉にする前のものは、ほぼ人類に共通するものがあるように思う。
いきなり言葉がある訳ではなくて、その人の気持ちなり意思というようなものがあって、それをその人なりの言葉で表現している。
その表現された言葉を聞いて、自分の感覚的なもの(その人の表情や語調等から感じること等)とか記憶されたものとかで自分なりに受け取る。
言葉は表現されたもので、本体は言葉になる前のものだと思う。
自分に対しても他の人に対しても、言葉で表現される前のものに関心を寄せていきたい。
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人間について あれこれ ①

全てのものは全てのもののバランスの中で存在していると思う。
人間はその中の一部分だと思う。
他の生物もそうだと思うが、人間も種として存続し得るものを具えていると思う。
人間の場合、本能的なものと知能が具わっていると思う。
所謂「天敵」というようなものも無く、人間自ら宇宙自然人間同士のバランスを保ちながら存続できる知能があると思う。
人間の知能を結集し、共に宇宙自然界・人間の実際を観察・探求し、最も人間らしい生き方や、誰もがそう出来る方式なども共に研究しながら実行していけたら、現在問題となっているような事は全て解決し得るし、かつてない人間生活になるだろうと思う。
世界平和が目的でなく最低ラインで、そこから本来の人間活動が繰り広げられるだろう。

では何故知能を結集できないのか?
それは自分の考え・自分達の考えを正しいとするところから、他と共に出来なくなると思う。
何故、宇宙自然界・人間の実際を観察・探求し、人間としての研究が出来ないのか?
それは人間の考えを正しいとするところから、どこまでも実際を観察・探求し研究していこうとならないと思う。
何故そんなに強固な観念状態になるのだろう?
それは人間の考え・自分の考えとはどういうものかを知らず勘違いしているからだと思う。
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