心の世界で出会う時

内観コースをやっていると、心の世界というものを感じるし、どういう世界なのか考えさせられる。

内観で、ある人に対する自分を調べる中で、何十年も前の場面で、その人が発した言葉が、今の自分に届くという感じになる場合がある。その時には届かなかったその人の心が、今の自分に響く、迫ってくるという感じなのだろうか。
「心の世界に、過去も今もない」と感想に書いていた人がいたが、何十年かの時を経て、その人は亡くなったりしても、その心は、今の自分に響いてくる。

親から世話してもらったことなど、あまりにも当然のように受け、まるで空気や水のごとくの感覚で、その存在も意識しない、記憶にもないという状態から、調べてみることによって、当り前というものが取り払われた時、その当時に注ぎ込まれた愛情が、親の心が、今の自分に流れ込むように感じられる。時空を超えて、ということなのだろうか。
足りない、愛情不足、さびしい・・・と感じてきた人が、そこを感じられた時に、心の世界が満たされ、不足感から、解放されていく。
ここが満たされないと、その不足感を埋めようと、様々な欲求が生じ、その欲求を埋めようとしてやっても、それは一時的なものになってしまう。心の世界が満たされない限りは解決しないようだ。

心の世界・・・不思議な世界。
そこを解明していくことで・・・。
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内観の一コマ④

ある事件を思い起こす。それは、その人にとっては、大きな出来事。
そのことで、周囲の人に対して、悪感情を持ってしまい、その後の人生に影響を及ぼす。

その事件を、今客観的に見てみる。
実際のこと、自分の姿、中身、心・・・・。
今、客観視してみると、実際の事実を勝手に解釈し、勝手に感情的になり、勝手に反応して、悪い方へと運んでいってしった自分の姿が見える。
そして、それは、相手や周囲のせいにしてしまっている。

思い込み、キメつけの害毒が見えてくる。
周囲に及ぼす影響の大きさ。その連鎖。
そういう時の幅っている自分の姿を見る時の恥ずかしさ。

思い込み、キメツケの原因の探求は、今後の課題につながっていく。
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内観の一コマ③

父親に対する自分を調べてみる。
その年代は、特に接点もないし、特に何も無い時期だし・・・。
なにもないなぁ・・・

そこをもう一歩、深く調べてみると・・・。

出てくる、出てくる。
世話になったことがたくさん。

その当時に、父親に対していた心情。
そういう心をもって、父親に対していた自分の姿。
そういう心の現われとしての数々の行為・・・。

客観的に、当時の父親と、それに対する自分(心、姿、行為)を見てみると・・・。
そういう歴史が、今の自分を形成してきていることが見えてくる。

また、そこを見直すことで、今の自分が新たに形成され直す。
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内観の一コマ②

ある人が、配偶者に対する自分を調べてみて、「ずっと○○をしてくれなかった」という印象だったのが、実際を調べてみると、ほとんどの期間、そのことはしてくれていて、少しの期間、そのことをやっていなかったというのが事実だったようだ。
(「やってくれなかった」というのも、「○○してくれるのは当然」と決めつけていたという自分の姿も見えてくる)
が、その期間の印象が強烈で、その人に対して、○○をしてくれなかった人となってしまって、自分の中では、「ほとんど○○をしてくれなかった」というのが事実化してしまっていたのだ。

自分の印象・記憶と、事実・実際とのあまりの違いに、しばらく戸惑う。
が、実際を調べ、よくそこを見てみると、実際を認めざるを得ない。
自分の中の歴史が塗り替えられる。
そこから見ると、その人に対する心持も印象も変わってくる。
おのずと、自分自身も変わってしまっている。
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内観の一コマ①

ある人が、配偶者に対する自分を調べていると、自分がやったことや自分の感情の記憶ははっきりあるけど、一緒に暮らしていたはずの配偶者の姿や、その人がやっていたことが、ほとんど思い出せない・・・という。

自分があまりにも大きくて、相手がない、相手がいない。
「自分」「自分が」「自分だけが」・・・という世界なのだろうか。

実際の世界には、相手はいたはず。でも、自分の世界には相手はいない。
実際を調べることで、新たに、世界を再構成し直すこと。
そういうことで、より実際の世界に近い認識になっていくのだろう。
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