研鑽社会化活動になるには?

研鑽とは、キメツケ・固定の無い状態から、本当はどうかと考えていくことだろう。
研鑽社会化活動とは、研鑽の状態で社会活動(仕事・暮らし)をしていくこと、また、社会がそうなっていく活動をしていくことなのだろう。
研鑽社会化活動になるかどうかは、研鑽の状態になっているかどうか、つまり、それを行う人が、研鑽状態にあるかどうかにかかっている。

キメツケ・固定の状態で行う活動は、キメツケ社会化活動となるわけだ。
だから、「研鑚会」と称する機会に出ていたとしても、その人の状態がキメツケ・固定の状態にあったとしたら、それは研鑽社会化活動にはならず、キメツケ社会化活動になる。
これは、アズワンカンパニーでもそうだろうし、研鑽ライフセンターの運営でもそうなのだろう。
名ではなく、実質がどうなっているかにかかっているということだろう。

研鑽状態=キメツケ・固定が無い状態=自覚のある状態とも言えようか。
研鑽状態の人になって行う活動が研鑽社会化活動。
そういう人になろうとしないで、形や名称で、「研鑚会」、「アズワン活動」、「一体」、「一つ財布」などとやっていても、それはすべてキメツケ・固定化活動になっていってしまうのだろう。

研鑽社会を本当に願うなら、研鑽状態の人=自覚のある人にまず自分がなること。
そして、同じ考え方の人で、そういう人に成り合うところからしか始まらないということなのだろう。
研鑽社会化活動 | - | -

人間の能力

人 間 観 | - | -

よく見る

知るには、調べる。   調べるには、観察する。
しかし、思ったこと、感じたこと、に重きをおいて、それを言っている。
「観察する」とは、思ったり、感じたりすることでなく、「よく見る」こと。

見ているつもりでも、すぐに思いや感想が出る。実は、よく見ていない。
見ているつもりでも、実は、思いや感想をめぐらしている。

「見る」は「見る」。ただぼんやりと見るのではなく、「よく見る」
思ったり、感じたり、してもいいが、しなくてもいい。
要は、よく見ているか、どうか。
「よく見る」ことをしないで、自分を見て、人を見て、物事を見て、思ったことを言っている。

自分を使って「よく見る」練習。日常生活を使って「よく見る」練習。
思うより、言うより、人や物や出来事を、もっともっと「よく見る」。

自分を、近隣の人を、職場を、会社を、家庭を、知るには、先ず「よく見る」
自分を知るには、自分を「よく見る」。そして・・・
人生を知るには、人生を「よく見る」。
社会を知るには、社会を「よく見る」。

2007年 人生を見る 社会を見る 研鑚へ
< 精神革命 > | - | -

正鵠を射る 核心をとらえる

社 会 観 | - | -

正鵠を射る 核心をとらえる

監視や統制、義務や責任、規則や罰則が要らず、各自の自覚からなる自主・自発的行動による保ち合いで成立する社会組織。
物は飽くほど豊満で、誰のものでもない、誰が用いてよい、禁止もない、咎める人もいない社会。
            
 『そんなことが出来れば良いが、出来る訳がない、無理に決まっている。』
 『人の世は、そんなにうまくいく筈がない。』
            
秀でた頭脳、知能を持ち、人情・親愛の情を尊ぶ人類なら、それくらいのこと出来るのではないか。
            
出来ないとしたら、何故できないのか、原因を探る。
今まで出来なかったし、放っておいてもできない、どうすれば出来るか。
どのような条件が揃えば出来るのか。


人間は成長に応じて、考えることができるようになる。
自分の欲求や願望を考え、人の立場や気持ちを思い、自分と人によって構成し共に暮らす社会のことを考えて行動し、日々を営む。
自分に思いや考えがあるように、人には一人一人の思いや考えがあるから、自分の考えも人の考えも出し合って、共に考え合って暮らしていく。
こうして、親愛の情を育み、理知的に考え行動する。
            
これが、普通の人間らしい人の姿だと思う。
自己(自分の思い考え感情など)に捉われ、知と情を忘れ見失ったとき、人は人間らしさを外れると思う。


誰もが人間らしく、知性ある情的な人に成長し合う。
そういう人に成り合うことによって、怒りや不安のない豊かで楽しい安定した社会が実現する。
            
人として人間らしく成長し合うことをしないで、「人間とはこいうものだ」と諦めて、起こってくる悪事を叩いたり罰したり取り締まっていても、決して良い社会には至らない。
            
人間らしく成長し合うことを念頭においた社会機構・制度・政治・運営。
各人それぞれの成長に応じて納まり暮らせる方法の考案と実施。


人間らしく成長し合うとは、どういうことか。
それは、人としての自分を知るということに始まり、
それは、共に生きる人を知ることに繋がり、
そして、人として生きることの意味、つまり人生を知ることであり、
人生の舞台である人間社会を知っていくことだと思う。
            
成長し合うということは、教えたり、諭したり、分からせようとしてもできない。つまり、教育したり躾けたりすることではないと思う。
各々、自分で自分を知り、成長し合う。


以上、良い社会を実現するには、お互いが人間らしく成長することが不可欠であり、それは、従来のような道徳、躾け、宗教、教育では、実現できないということ。

人間らしく成長するとは、どういうことか。
そして、人が人間らしく成長するには、どうすればよいか。
これが、人間社会の焦点になると思う。
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