研鑽社会化活動になるには?

研鑽とは、キメツケ・固定の無い状態から、本当はどうかと考えていくことだろう。
研鑽社会化活動とは、研鑽の状態で社会活動(仕事・暮らし)をしていくこと、また、社会がそうなっていく活動をしていくことなのだろう。
研鑽社会化活動になるかどうかは、研鑽の状態になっているかどうか、つまり、それを行う人が、研鑽状態にあるかどうかにかかっている。

キメツケ・固定の状態で行う活動は、キメツケ社会化活動となるわけだ。
だから、「研鑚会」と称する機会に出ていたとしても、その人の状態がキメツケ・固定の状態にあったとしたら、それは研鑽社会化活動にはならず、キメツケ社会化活動になる。
これは、アズワンカンパニーでもそうだろうし、研鑽ライフセンターの運営でもそうなのだろう。
名ではなく、実質がどうなっているかにかかっているということだろう。

研鑽状態=キメツケ・固定が無い状態=自覚のある状態とも言えようか。
研鑽状態の人になって行う活動が研鑽社会化活動。
そういう人になろうとしないで、形や名称で、「研鑚会」、「アズワン活動」、「一体」、「一つ財布」などとやっていても、それはすべてキメツケ・固定化活動になっていってしまうのだろう。

研鑽社会を本当に願うなら、研鑽状態の人=自覚のある人にまず自分がなること。
そして、同じ考え方の人で、そういう人に成り合うところからしか始まらないということなのだろう。
研鑽社会化活動 | - | -