―― < 精神革命 > ――

2005.08.13 Sat

研鑽をしようとして・・・

暮らしや職場の仕事でも、より本当を目指して、前進して行こうとして、寄って話し合う機会を設けたり・・・、

そこで、研鑽になるか、どうか・・・。
やはり、やろうとしていることの目的は何か、そして、そのやろうとしていることが目的にかなった手段・方法か、どうか・・・、

いつも、いつも、焦点が、ここにあるか、どうか。
何かことをやろうとして、やり始めると、「やる」ということが前提になって、そうすると次から次へと前提が増えていって、「あれがある」「これもある」「その上でどうしたらいいか?」などなど、で研鑽しているつもりになる。

殆どが決めた前提の上に乗っかって、極々狭い範囲を右往左往、苦心する。
「あれもやめられる」「これもやめられる」「そしたら、あれも、これも、みんなできる」

自分の中にある前提だけでなく、みんなで前提を持ってるから、前提を持っていることに気付かない。無自覚。
固定・前提・キメツケ・常識化しているもの(盲信)に気付く研鑽。
先ずは、研鑽の目標をそこに置いて研鑽会する。

いつもいつも、ああしたらどうか、これはどうしようか、と考え行なう中にも、「前提を持っていないだろうか」「決めて外せないとしているものはないだろうか」と、それの発見のために、みんな寄っての「話し合い研鑽」。

そうやってみて、「これも外せない」「あれも動かせない」「ああ、これも決めてるなぁ」「受けたんだからやらなきゃ」「約束したから相手に迷惑かかる」等々、キメツケ・盲信の実態を続々発見するための暮らし。研鑽会。
研鑽生活になろう筈がない盲信生活の実態を自覚する。楽しい。愉快。

2005.08.13 Sat

研鑽が実現したら・・・

どうなるか、ということは、研鑽を実現したら分かることで、
研鑽を実現しないままで、「どうなるか」を論じてもね。

研鑽ということには惹かれるけど、研鑽って何なのか、研鑽が実現しているのか実現していないのか、分からない。
と、このままでは何も進まないから、やはり、研鑽状態と、そうでない状態ということも、ある意味で必要かな、とも思う。

研鑽状態とは、キメツケなく、本当はどうか、と考え行動している状態。
・・・と、これは誰でも知ってるね。「わかってる!!」というヤツだ。
・・・で、「どうなるの?」と現象面への現われを知りたがる。結果主義というヤツだ。
研鑽状態か、どうか、「現象面に現れる筈だ」と、自分が現象面しか見えないものだから、なんとか現象面で判別しようとする。
でも・・・、研鑽状態は、研鑽があるか、ないか、で、現象面のことではないですから、ザンネーン!!

まあ、あえて言うなら、「新しい発想がドンドン生まれる」「間違いが続々と発見される」「現象面はコロコロと変貌する」・・・etc.
まあ、研鑽あれば、この程度の現われはあると思うけど、
こういう現象あれば、研鑽あるかと言えば、そうじゃない・・・と、逆は言えないから、現象から見ようとする人には研鑽あるか、ないか、見えない、ザンネーン・・・。

2005.08.08 Mon

研鑽 と 盲信

山岸会・特講・研鑽学校・ヤマギシ、でやってきたことは、
正しく本当であろうと思われる人間や社会のあり方・考え方・生き方等を調べて実践することで、
そういうことをひっくるめて、「ヤマギシズム」とか「研鑽」と呼んでいたように思う。

しかし、本当を見つけ出して実践することが、「ヤマギシズム」や「研鑽」ではなく、
「ヤマギシズム」や「研鑚」によって、本当を見つけ出し実践することだと思う。

この差異は大変なもので、「ヤマギシズム」や「研鑽」の根幹を外したまま、「ヤマギシズム」や「研鑽」をやっているつもりでいた、ということにもなる。

自分が本当だと思ったことを実践する。
このことが既に「ヤマギシズム」や「研鑽」から外れているとも云えるだろう。
自分の考えによる自覚のないキメツケ、信じ込み「盲信」が、ベースになっている。
研鑽会で満場一致になる場合は、自分の考えを盲信(盲信=自己盲信)するひとりひとりによって、一つの決定が下されていることが多いのではないだろうか。
自分で良いと思ったことやるのは独走で、みんなで良いと思ったことをやるのは集団暴走行為だと思う。

キメツケているという自覚はなくとも、自分の考えで良いと思うことに重きを置く盲信者が、いくら寄って話し合っても、集団盲信を膨らますだけ。

「ヤマギシズム」とか「研鑽」という言葉は随分使ってきたが、その根幹を全く知らないでいるのかもしれない。
自分の考えで、信じることも、疑うことも、批判することも、裁くことも、できないのが当然で、そういう根幹なしに、「真目的を目指す」とか「あれが本当」だと裁いていては、小集団化して、反感・対立・壁ができるのも当然だと思う。

自分の考えを信じてキメツケる、盲信体質に一刻も早く気づいて、
気づいた人から、研鑽体得の道をゼロから、歩みたい。

2005.08.01 Mon

研鑚知能開発 予科課程

昨夜、遅く・・・
研鑚していて、だいぶん、でてきたな。
本当、本当、と言っていても、本当の方へ、行けないのには、
まず、順序があって、本当は・・・・、という前に、本当は・・・、に行けるように、行けなくしているものを、自覚して、解消する、という順序。
それが、だいぶん、でてきたな。ついでに、そこ突破する方法・アイデアも・・・。
これは、なかなか、賜物と言いたいくらい。
先ずは、合宿して、それのみをやる場で、実験。

日常化するには、環境として、本当は・・・、指向の人の存在大きい。
社会気風によって、自覚・解消・本当へ、を促す。そういう真実研鑚会(幸福研鑚会)が必要。
社会に研鑚を実在させ得る人の養成を。
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