研究所サロンに参加して Ⅲ

 心の不健康のことが、<心の歪み>と表現されていたのが、何かピッタリという感じで分かりやすいと思った。優越感・劣等感・対立感・妬み嫉み・競争心・頑張り・評価を気にする・不足感などなど、全部心の正常な状態から見たら心の歪んだ状態ということだろう。

 多分今の世にまったく心の歪みのない人など皆無かもしれない。イメージ的だが、人と人、つまり心の歪みと心の歪みで構成される社会は、正常な社会ではなく歪んだ社会(差別・不平等・競争・対立・不自由・束縛社会)ということになる。心の歪んだ人たちの間で育つ子供の心も歪んでいく。心の歪み(優越感・劣等感・競争心・頑張り・不足感などなど)が受け継がれていく。

 自分の中の心の歪みの解決(心の正常化)は、時間的にも空間的にも連綿と続く心の歪みの連鎖を断ち切ることだというイメージが湧いてきた。ひとりの人の心の解決は、それ自体で社会的なことだとも言えるような気がする。

 ひとりひとりの心の歪みの解決(心の正常化)を具体的に図る社会システムというイメージと、もう一つ、ひとりの人の心の解決が周囲に自ずと伝播していく(伝播しやすい)社会システム、そんなイメージも湧いてきた。自分の中にそんなイメージが出てくるのも研究所サロンでの話を聞いてということもあるが、そういう社会システムが、現実に実態として形成されつつあることにもよるのかもしれない。
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研究所サロンに参加して Ⅱ

 研究所サロンでの何人かの人の発言(感想)が印象に残っている。
 
 ある人は「競争とか服従とか当たり前になっていて、それを不健康とも思わない、そんな自分がいる」というようなことを出していた。それを聞いて、育ってきた過程もあるけど、今のその人の職場環境にもよるのだろうと思った。

 今の社会(世の中の多くの人)には心の健康という観点も希薄なのかなと思った。職場自体が上下観や競争原理で組織されている(動いている)のだろうから、自分を振り返る機会がなければ、競争心や上役に対する服従ということが当たり前になってくる。それを不健康とも思わない。

 またある人は「ここに来て(?鈴鹿に来て)、自分の心が正常(健康)でないことが分かるようになった」みたいなことを出していた。それを聞いて、そういう面があるなと思った。自分の中にも、心が正常かどうか健康かどうかという観点が養われてきているように思う。心の不健康ということで、優越感・劣等感とか不足感とかいろいろ上がっていたが、自分でも何か頷けるものがあった。

 ただ、今書いていて思い出したのだが、ある人が、不足感?についてだったかどうかよく覚えていないが、いわゆるハングリー精神というようなものを肯定する(?)ような発言をした。それを聞いたときの自分の中には、認識の違いというより、何か「この人分かってないな」みたいなものがチラッと出てきていたようだ。ハングリー精神というのは自分の分類では心の不健康に入る。そんな知識を振りかざして人を判定する自分がいたようだ・・

 正常と異常、健康と不健康を頭で分類することではなく、研究所サロンでの話を手がかりにして、自分の中(心)にあるものをよくよく検べてみることだなと改めて思った。 
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研究所サロンに参加して Ⅰ

 研究所サロンでの話は「心とは何か?」という話ではなかったが、終わってみると、何か心というものが今まで以上に自分の中で意識されているような気がした。自分を観るとき、自分の心を観る。人を観るとき、人の心を観ようとする。社会を観るとき、人と人、つまり心と心で構成される社会として観る。そういう方向性。生後3ヶ月の孫にも心がある。心の成長という観点から孫を観る。

 心というものに対しては、そこに自分の気持があり、また周囲環境に反応して、いろいろな感情や欲求が出てくる所というイメージ、また心の中の気持や感情や欲求はころころ変わるというイメージ、頭に浮かぶ思いや考えや意図(観念段階のもの)とも深く関連して動くというイメージ、そんなイメージは自分の中にあったように思う。頭と心の関係がどうなっているかはよく分からないが、どちらかというと心の方が、人が生きることのベースになるような気がしていた。

 「心の健康と社会システム」というテーマだった。心が健康(=正常=幸福)かどうかで、その人の生き方(人生)が決まる、そんなイメージも出てきたが、心が健康とはどういう状態なのか、自分にはあまりよく分かっていない気がした。

 優越感とか劣等感とか上下感とか対立感とか妬み嫉みとか服従とか競争とか評価を気にするとか、心の不健康ということでは随分沢山の項目があがっていたが、どれもこれも今までの人生の中で自分は経験的に知っているような気がした。

 そのすべてが今の自分に残っているとも思えないし、いろいろ解消されてきたことも多いと思うけど、今の自分を掘り下げてみたら、まだいろいろありそうだ。誰かも言っていたが、自分は<心の歪み>ばかり経験していて、本当に健康な心(歪みのない心)というものを経験したことがないのではないか。(赤子の時は心も歪んではいなかったのかもしれないが)

 歪みのとれた心の状態というものを、未だ自分は知らないが、本当に歪みが全部取れたら、どれだけ心(気持)もスッキリすることだろう・・・
研究所サロンで話を聞きながら、何か自分の中でも、心というものに焦点があたってきた感じがした。 
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