研究所サロンに参加して Ⅰ

 研究所サロンでの話は「心とは何か?」という話ではなかったが、終わってみると、何か心というものが今まで以上に自分の中で意識されているような気がした。自分を観るとき、自分の心を観る。人を観るとき、人の心を観ようとする。社会を観るとき、人と人、つまり心と心で構成される社会として観る。そういう方向性。生後3ヶ月の孫にも心がある。心の成長という観点から孫を観る。

 心というものに対しては、そこに自分の気持があり、また周囲環境に反応して、いろいろな感情や欲求が出てくる所というイメージ、また心の中の気持や感情や欲求はころころ変わるというイメージ、頭に浮かぶ思いや考えや意図(観念段階のもの)とも深く関連して動くというイメージ、そんなイメージは自分の中にあったように思う。頭と心の関係がどうなっているかはよく分からないが、どちらかというと心の方が、人が生きることのベースになるような気がしていた。

 「心の健康と社会システム」というテーマだった。心が健康(=正常=幸福)かどうかで、その人の生き方(人生)が決まる、そんなイメージも出てきたが、心が健康とはどういう状態なのか、自分にはあまりよく分かっていない気がした。

 優越感とか劣等感とか上下感とか対立感とか妬み嫉みとか服従とか競争とか評価を気にするとか、心の不健康ということでは随分沢山の項目があがっていたが、どれもこれも今までの人生の中で自分は経験的に知っているような気がした。

 そのすべてが今の自分に残っているとも思えないし、いろいろ解消されてきたことも多いと思うけど、今の自分を掘り下げてみたら、まだいろいろありそうだ。誰かも言っていたが、自分は<心の歪み>ばかり経験していて、本当に健康な心(歪みのない心)というものを経験したことがないのではないか。(赤子の時は心も歪んではいなかったのかもしれないが)

 歪みのとれた心の状態というものを、未だ自分は知らないが、本当に歪みが全部取れたら、どれだけ心(気持)もスッキリすることだろう・・・
研究所サロンで話を聞きながら、何か自分の中でも、心というものに焦点があたってきた感じがした。 
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