【 土曜 研究会 】

一般的に、「やさしい」とは、行為や発言などを捉えて、「やさしくしてくれた」とか、「やさしかった」ということが多いようだ。
「○○○ にやさしい」のように、何か対象に向けてのことだとしたら、「やさしい社会」の【やさしい】とは違うね。

医療や福祉や教育が、サービス業(客商売)化してるという話題になって・・・。
患者に利用者に学生に対して、お客さま扱いの上手なところが繁盛する。
してもらって「やさしい」と評価する。おもてなし文化かな。

「束縛・強制・責める・・・がない」と聞くと、「やさしい~!」と受け取るけど、
「つまり、何もしてあげなくていいんだよ」と聞くと、急に「やさしくない~!」となる。

声かけてくれない。説明してくれない。協力してくれない。聞いてくれない。分ってくれない。対応してくれない。
自分が思ってることをしてれないと、「やさしくない」「つめたい」と言う。

行き届いた「もてなし」をすることで見えにくくなる、崩れようのない間柄。
ふだんのそのまま。あえて、もてなさない。揺るがない社会。
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【 対人感情 についての研究】

間違いや過ちよりも、その当事者が、謝ったかどうかを問題にする。
キチンと謝ったりすると、却って褒めたりもする。
謝らないことで、その人を責めたりもする。
謝っても謝らなくても、してしまったことは何も変わらないのに。。。
何を重視しているか、その当事者に何かさせたがっている。
その当事者が、○○○したら自分の気が済むんだろうな。
そういうことを社会的責任という言葉で正当化してる。
「なぜ?謝るなんて重視するのだろう?」と調べないで、
「当然だ!」で済ませている。

「責める」は「攻める」に似ている(精神的に攻める)
「責める」も「攻める」も、相手に勝つため。相手をやっつけるため。
「謝らせる」も「責める」に似ている。
間違いや過ちをしたら、当人を責めないと、当人に謝らせないと、当人にとってよくないとしている。
でも、実は、謝らせないと自分の気が済まない。責めないと自分の気が済まない。
当人を責めて、当人に謝らせて、気が済むって、どういう心理状態なのだろう?
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