心の人の存在

ミーティングとか、職場とか、どんな人の集まりでも、その場に・・・、
「本当に心の底からこの世界の実現を願っている人」が、いるか、どうかだよね。
やってることや言ってることじゃない。その人の生き方(生き様)というか・・・。
ここには、自分を調べよう高めようとしている人が、たくさんいるのだから、実現する要素はそろってるんだよね。だから、あとは、その集まりの場に、その社会に、そうなるようにと願う人の気風が醸し出されることだと思う。そういう気風や方向性がない場で、面談や研修やミーティングなど、現象的なこと、いくらやってもムダと思う。

自分を調べよう高めようとしている人がたくさんいるのに、一向に常識社会臭の抜けない職場もある。(宝の持ち腐れ?)・・・やっぱり、「本当に心の底からこの世界の実現を願っている人」が、いないからだと思う。(人を生かせない動物臭味が漂う集まり)
願っていても自分に捉われる人は、齎す力(感化力)が出ない。
  (自分に費やしてしまってるから弱い。我欲の損得勘定の人が強く出ると尻込みする)

ミーティングでも、職場でも、つい 「どうするか?」と 考えようとするけど、「どうする・こうする」の問題じゃないよね。  will do じゃなくて will be っていうか・・・
「本当に心の底からこの世界の実現を願っている人」が、いなきゃぁ何も始まらないのは、自明の理。 そういう人の存在によって、その場に方向性が出てくる。そうなっていこうとする気風ができてくる。 「何するか」 じゃない 「どういう人がいるか」
ミーティングでも、職場でも、そういう人がいさえすればいい。いない間は望みはない。

もうすでに、10年もやってきて、こういう事例はたくさん体験してきた。
一番肝心なものを外して、何やってもアカンにきまってる!
サイエンズカレッジやサイエンズカフェの一番大きなねらいはコレです。
理 ・ 本 質 | - | -