「私が」と言える(世界の)人に

異なる世界の言葉づかい  どういう「私」かを知ると・・・、
すべて、「私がやっているのです」 そう言える「私」なんです。
そういう「私」という言葉づかいができるということは、
そういうところ(社会)に立っている「私」であり、
そういう世界に住んでいる「私」であり、
そういう心境、心の世界の「私」であるということ。
どういう人(私)が、やったり言ったりしているのかということ。 それで全てが決まる。
やってることや言ってることの内容や良し悪しではない。
カンパニーも、スクールも、研究所も、コミュニティなど、すべて「私がやっているのです」
もしも、「私が」ではないとしたら、誰かがやっているんだろうね。
「私が」とは言えないところに住んでいるんだろうね。 自分はどこにいるの?
「私がやっているのです」「私がやっているのだから大丈夫です」「責任持ちます・保証します」
・・・と言える人でやっていくしかないもんね。
これは、とても明快! 誰にも分かり易い!
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