内観にみる人間観3

 ごく常識的な見方のような気もするが、人はまず親(身近な人)を見て<人を知る>のかと思う。親との関係でといった方がいいのかもしれない。
 
 ここでいう<人を知る>とは、<人とはどういうものかという人間観>がその人の中に形成されることとも言える。

 そういう人間観は、親をはじめとした身近な人と接する中で時間をかけてじっくりと形成されていくのだから、一度出来上がると中々変わらないような気もする。

 その人の人間観がどういうものかということは、端からみて簡単にこういうものだと特定できるものではないが、それは他の人に対する信頼(警戒)の度合いとかに強く現れるような気もする。また親に対する好きとか嫌いとかの思い方とか、人によっては「自分がこんな風になったのは親のせいだ」と思って、親を恨んだり憎んだりするケースもあり、そういうことも、その人の人間観と深くつながっているのではないかと思う。

 こんなこと書くのも自分の中に何の確証もなく、今の単なる思い付きで書いたが、とても不思議に思うことがある。

 長年かけて形成された人間観が、じっと座って自分の中を見ている(内観している)だけで変わっていく、これはなんとも不思議なことではないかと思った。他から何の知識を入れるわけではない。

 じっと座って内観することで親に対する印象が変わる。そして、その人の人間観も変わっていく。

 育つ過程で「親を見て<人>を知る」、そして、いつの日にか内観して、また「親を見て<人>を知る」ことになる。親の方は何も変わらないはずだが、<人>の中身が全然違ってくる。なんとも不思議なことではないか。何の知識を外から入れるわけでもないのに・・・
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