自分を知るための内観コース Ⅵ

・補足 Ⅱ
 内観法で自分を検べていると、すでに何(十)年も前のことではあるが、父や母が自分に対してしてくれた具体的な世話の一つ一つが、ある種の実感(現実感)を伴って鮮明に浮かび上がってくることがある。その当時はあたりまえになっていて、何とも思わなかったことが、本当に世話になっていたんだなと、今にして気づく。父や母の一貫して変わることのなかった自分に対する心(愛)に、今にして気づくと言ってもいいかもしれない。気づくと同時に内から情(気持)も湧いて来る。その時に父や母に対する自分の見方や気持も転換するようだ。

 この時、今まで父や母の心に気がつかなかった自分を悔やんで、父や母に対して申し訳なかったと思う気持ちも湧いてくるが、同時に何か心のわだかまりが溶けて晴れ晴れとした気持を体験する。そういう体験を持つ人も多い。一つの気づきに伴うこういう体験は体験として、その人にとってとても大きな意味があると思う。ただ、それも検べる過程での、その時の気づき、その時の体験であるということは押さえておきたいところだ。それを自分は気づけた何か特別な体験をしたと思い込む、そういうある種の慢心に捉われていると、必ずや実際面での齟齬をきたし、晴れ晴れしたと思い込んでいる心に、いつか陰がさしてくる。

 内観法の創始者吉本伊信氏も、そういう慢心を戒めて、あくまで内観し続ける(検べ続ける)ことを強調している。内観法は、あくまで内観する生き方、検べ続ける生き方を、人の心に促すものだ。
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