【 土曜 研究会 】

アズワンコミュニティで「実現しようとしているもの」は、何なのか。
果たして、それが普遍性のあるものなのか。先ず、それが一番の課題。

「そんなことが実現できればイイけど、無理でしょう。」
・・・と、「実現しようとしているもの」そこまで理解され賛同されれば申し分ないね。

そこからが、サイエンズ、アズワンコミュニティの本領だね。
「そりゃぁイイけど、無理でしょう。」と、誰もが思うことに対して、
ホントに無理か、どうか。できないとしたら、なぜできないのか?
「無理だ、できない」としている要素を一つ一つ 調べていくと、
一足飛びには行かないけれど、一つ一つ 要素をそろえていくことができる。

前に「内在する対立感情」という表現をしたけど、
もっと焦点を絞っていくと、「無意識の隔て」という課題になった。
これは、「人の問題だけど個人の問題ではない」 社会によって植えつけられたもの。
これの「自覚」と、解消していく順序やステップと、そのプロセス。

要素を見出し、方法を試み、させようとしないで、
その人その人に応じて・・・、でも留まることなく・・・。
すると・・・、そんなに難しくないことも見えてくる。
ふと、気がつくと、少しずつ実現している。
それによって、「無理でしょう。」と言ってた人も、
「へぇーっ、そんなことができるのか。」と、見方が違ってくる。

「できるわけがない。無理でしょう。」は、反論ではなくて、励みになる協力の声だね。
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【 土曜 研究会 】

「人間の考えであるとの自覚」の研究と解明によって、約8年前から「自覚」についてのアプローチの仕方も進化してきた。
それによって、「自覚のない自分の状態」が続々と見出されて、見出されたら、「自覚」についての自発的な欲求が生じて、自ら進んで行く。

隔てや囲いのない「一つの世界」を頭で理解しても、「一つではない人(自分)の内面の状態 ・ 組織の状態 ・ 社会の状態」については、漠然とそう思う程度で、焦点が当たるところまで行っていない。
このことは、「一つであるという人(自分)の内面の状態 ・ 組織の状態 ・ 社会の状態」が、まだまだ鮮明じゃないからだろう。
「一つであるという状態」が明らかでないまま、いくら「隔てや囲いのない状態」を目指しても、現状の改良程度で、「一つ」を指向しているとは言えない。
つまり、日常の実際の中で、「一つでない状態」が目立つぐらいに、見出されるというところまで核心をついていない。見出されたら、自ずから「一つ」を指向して、「一つではない要素」を取り除いて進んで行くだろう。

サイエンズでいう「本質的」とは、「内面の状態」のことだから、「人(自分)の内面の状態 ・ 組織の内面の状態 ・ 社会の内面の状態」に焦点が当たるように・・・の研究が、これからの課題だね。
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【 土曜 研究会 】

職人技の話題から・・・「計り使わずに 重さや温度が判る。」
「音を聞くだけで 機械の状態や故障原因が判る技術者」

そして・・・、「人と社会」の話題へ・・・。
(3) 「言ってること・やってること」
(2) 「意識や考え」
(1) その人の「内面の状態」

肝心なのは、「内面の状態」
だから、そこに焦点を当てている。
「内面の状態」を観ての仕組みや運営。
そういう社会。そういう文化。

社会活動やコミュニティづくりの鍵(種明かし)
 ※ 「言ってること・やってること」 が、いくら立派でも、
 ※ 「意識や考え」 が一致して、賛同しても、
 ※ 「内面の状態」に焦点を当て、それを重視する。

「内面の状態」が分かるようになるには・・・、
そこに焦点を当てて、組織し運営するとは・・・。

そのための ―― サイエンズ研究所 ―― ですね。
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【雑観】

例えば、知らない間に、きれいに掃除されていたら・・・、
「誰が、やったんだろう?」 と、尋ねたい気持ちになることがある。
逆に、荒らされ汚されていたら・・・、
「誰が、やったんだ?」 と、言葉は似てるけど、犯人捜しのように反応することがある。

「なぜなんだ?誰が、どこで決めたんだ?」 という問いを受けたとき、
それに答えようとする前に、その「問い」 がどんな心の状態から出ているか、その人を よく観てみたい。
 好ましく思えるような事柄のときは、ただ嬉しい気持ちが先に出てくるだろう。「なぜなんだ?」というような反応しないよね。(そのあとに、なぜだろう?と思うことはあるけど・・・)

上に書いた 「なぜ? 誰が? どこで?」 というのは、素朴な問いではないよね。何か・・・反感・対立感情が湧いていて、そういう疑問形の言葉になってるだけだと思う。

意見の言い合いではなく、「心から うち溶けた話し合い」ができるか、どうか、「話し合う前の心の状態」にあると思う。
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【土曜研究会 から】

例えば、「立って歩けない人」や「声を出して喋れない人」がいたら、「どうしたら、歩けるようになるか? 喋れるようになるか?」という思いもあるだろうけど、その前に、「なぜ立てないのか? なぜ声が出ないのか?」と、思うし、そっちを調べるのが先だよね。

「親しさで繋がる社会・揺るぎない親しさ」に、関心を抱いても、
「どうしたら、人と人がそんなに親しくなれるのだろう?」と、思う人が多いですね。
それよりも、「なぜ、人と人が親しくないのか?」 これを先に調べることだよね。
もっと言えば・・・、
「人と人が親しくないなんて、親しくなれないなんて、おかしい!」
  (親しいのが良い とか 親しくしよう という意識じゃなくて・・・)

でも、「親しくない」のが普通で、「親しい」のは特別な間柄だと、思ってる限り、「親しくない原因」に目が向かない。

人間をよく調べると、「人と人の本来の姿」、「人と人で織りなす社会」も観えてくる。
誰にも分かりやすく、もっと明らかに、「研究と解明を・・・」です。
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