解放された状態を探る

解放された状態とは、どういうことなのだろう?

解放された心の状態から、解放された姿が現れるのだろう。
つまり、
心の解放→解放された姿。
という順序で現れてくるものなのだろう。
もちろん、解放された姿に触れて、心が解放されてくる場合もあるだろう。

が、解放された姿を形として捉えて、その形をやろうとすると、誤ってしまのだろう。
形として捉えていること自体が、観念的、固定的な状態で、言わば「縛られた状態」に陥ってしまうのだろう。

例えば、「決めないで、何でも話し合いでやる」というような姿も、心の状態のことを言っているのか、形で捉えて形をやろうとするかで、全然異って来る。
皆で決めたことも、人間が一応取り決めたくらいのもので、人間の感覚で「そうしようか」としてるくらいのもので、そもそもいい加減なものと・・・、そういう心の状態で、「いつでも見直せる、改変できる」というような心の状態だったら、「今はこうしておこうか」、「今はこんな仕組みでいこう」と、どんどん決めていける。
それを形で捉えていると、「解放区だったら、決めない方がいい」みたいな固定的な捉え方で、窮屈になって、とりあえず決めておいたら済むことも、いちいち話し合ったり、どうしたらいいか決めることに時間を浪費したりしている場合もあるかもしれない。

自分の考えも、相手の考えも、皆で決めたことも、みんな人間(自分、自分達)の感覚で、そう思ったり、そうしようとしてるだけのこと。
「こうするのがいい」、「こうするのが当然」、「こうしなければならない」、「決まったことだから」、「そんなこと出来る訳ない」・・・みんな自分の感覚・・・。
その自覚から、自分が解放されていくのだろうし、そこをベースに、何にも縛られない、解放された状態に成り合っていき、解放された人達で、どんどん進歩・発展していける、自由闊達の地を描き、実現させていきたいものだ。
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