内観 考察メモ④

自分を見ることの出来るという要素を考察しみよう。

内観で、特徴的だったのは、環境的要素が、そこに向けて徹底している点。
感覚遮断と心理学的には言うそうだが、ともかく自分を見ることに集中できるようにというのではハッキリしていた。もともとは浄土真宗の一派での「身調べ」という荒行から来ているというのもあって、環境的には自分を見つめれるようにということで、しっかりと準備されていた。
もちろん、携帯電話やメールもなし、新聞、テレビなど外的情報源もなし。
参加者同士の話も一切なし。(顔は分かるけど、最後まで名前も知らないし、個人的な話も一切なし)
朝5時起床で、9時就寝だったが、朝の30分の掃除と洗面、夕方の20分の風呂と、トイレだけで、後は、半畳のスペースに屏風を立てて篭る。食事も運んでくれて、食事時に内観関連のテープが流れる。後は、1時間半から2時間に1回、面接者が回ってきて、3~5分の面接がある。これが1日に7~8回。後は、一人で内観している状態。
ということは、16時間起きている時間で、外的に刺激のない状態で、自分に向き合っている時間が、13時間以上あるということになる。

しかし、これだけ徹底して環境的に刺激を少なくして、それなりの意欲を持って参加したのだが、集中して自分を見つめられるかというと、なかなかそうなれるものではない。あれこれ、頭には浮んでくるし、仕事のことで忘れてたことを思い出したり、WBC(野球)はどうなってるんだろう?と想像をめぐらしたり、過去のことを調べていると、調べるというよりは想い出に浸ったり、まぁ、頭というものは、ともかく、いろいろ勝手に働いてくれるもんだと、感心する。
数日経つと、だんだんに、集中力も高まり、内観に集中できる時間はどんどん長くなっていったが、それでも、色々な方向へ頭が働くことは多々あった。
そういう頭の状態を考えると、自分を観察する際、外的な情報はなるべく少ない方がいいのかなぁと思う。特に、内観のように過去の自分に分け入っていくような作業の時は、できるだけそういう外的な刺激はないほうがいいのかなと思う。

合宿コースの場合は、自分がどうなっているか等を検べていくのだが、自分を見つめて、それを言葉にし、他の人の発言も聞きながら、それに刺激を受けつつ、自分をまた見つめていくという作業になっていく。
内観のように、できるだけ刺激をなくして自分を見つめるというのと、研鑚会でのように人の話などの刺激を受けつつ自分を見つめるということの、それぞれの特徴と、違いなど、色々検討してみたいと思う。
合宿研でも、それ以外の外的な要素の刺激は、できるだけ少ない方がいいのかな、とも思うが、そのことも検討課題。

面接に来て、やってみてのことを話すのだが、どうも、どのように内観したことを伝えようか・・・ということにも、結構頭が働いていたようだ。(無自覚だったが)。途中、色々なことが想起されてきた時、面接者に一々そのことを説明しようとしている自分があり、面接者から、「面接者に話すことが目的ではないので、特に話をしなくてもいい。内観することが目的ですから」と言われて、自分が内観するということと、どうやって説明しようかと、二つのことに頭がいっているの気づいた。その後は、内観の時間は、内観に集中して、面接者が来た時に、その時浮んだことを話すみたいになって、すっきり考えれるような状態になった。
このことも、話しをしながら自分を検べるき機会と、どういう違いなのか、考えていきたいところ。
自分を純粋に見つめる要素と、それを言語化していくという作業と、人の話を聞きながら刺激を受けつつ、また、自分を見つめていくという作業と、人が自分を検べる、知っていくという時、それぞれに大事な要素があるようだが、どういう特徴、どういう性質のものなのだろうか?

どんなに環境的にそういう場が用意されても、自分を見つめるというのは、その人の内発的な意欲がないと始まらない。自分でも最初の二日は、すぐに眠くなったり、他のことに頭がいったり、なかなかだった。集中できる環境と、テープを聞いたりすることで意欲が出てきたり、自分で何で来たのかと内省する中でやる気が出てきたり・・そういう関連の中で、だんだん意欲が湧いてきたように思う。僕と同部屋だった男の人は、途中で意欲がなくなったみたいで、最終日以外は、さっぱりの様子だった。面接者の人は、その人の意欲を信頼しているのだろうが、特に直接的な働きかけはなしで、一貫して接していたのは印象的だった。(面接者のことについては別途考察)

内観では、身に近い人に対しての自分を、年代順に三項目に焦点を当てて調べて行く。これは調べていくのには、集中しやすいし、自分の成り立ちや自分という人間を調べていくには、エッセンスともいえるポイントをついているようで、なかなか有効な方法と思った。
こういうテーマ、焦点の当て方で、自分を調べてみたら、どんな風になるだろう、というのも、一つ大きな興味がある。一週間の合宿コースで、自分を振り返りながら、検討する機会を設けてみたらどんな感じだろう???

期間として、一週間というのはどうなんだろう?自分としては、3日目頃から集中し始め、4日目の夜くらいにグーっと深まり、5日目、6日目はどんどん深まっていった手ごたえ。ま、これも個人差もあるし、なんとも言えないが・・・。
内観も、この集中内観が目的でなく、日常の内観が出来るようになるための練習の場が、一週間ということらしい。

今日は、ここまで・・・。
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