人間の指向性

自分は、どうなりたいのだろう? どうなろうとしているのだろう?
  (何かできる能力とか技術なんかじゃないヨ。人間性、自分の中身、人格的なもの)
自分の人間的成長目標 (これがない人は、一応論外なのです)
あれやりたい。これやりたい。ああしたい。こうしたい。 みな、自分の外のもの。
事業やるのも、人を育てるのも、社会活動をやるのも、みな、自分の外のもの。
本当に人の一生って何なのか・・・を思えば、やることより、なることでしょ。
どれだけ、人として、自分らしく、成長して、豊かに、・・・・なるか・・・でしょ。
そこを見失って、やることで一生おわるのもねぇ。
セミナーやレッスンや研修やお勉強会やってて、果たして、人間的成長 なるか 否か・・・。
人間性・・・人の崇高さに触れて、心惹かれる自分の崇高さ。 【崇高:けだかく尊いこと】
指向性・・・崇高さに惹かれるということ自体、そうなりたい、なろうとする自分。
  (関心あるとか、ないとか、目指すとか、諦めたとか、そういう意識上のことは関係ない)
人間像・・・自分の中にある自分に対する成長目標 目指す人の像
能力の高い人ほど、その能力を使って考えたり行動したりする方に偏りがちだけど、そうすると却って、自分の人間的成長がおろそかになる。
能力の低い人の方が、自分自身の成長に関心を向けて、人として成長して行くこともある。
やりたいこと、やることに夢中になって、物欲の人を喜ばせて良い気でいると、自分自身の成長はままならない。現状では、周囲も、そんな人ばかりだから、気がつかないが、やがて、周囲の人が人間的成長に向かうようになると、自分だけ自分の外に向けてのやることに一生懸命になっていて、人としての自分を育てようとしていなかったことに気づかされる。これが、人として最も辱かしい。
役に立ちたいとか、業績を上げたいとか、そんな相対的なことよりも、人として成長したい本心は比較にならない強いもの。これを崇高本能って、いうのかな・・・。
こういうの読んだだけでは、分かりづらいから、すぐに難しいとか、自分には?とか、考え込む人多いけど、分からなければ、尋ねればいいだけのことで、人柄・人格に惹かれるのは、子どもから老人まで万人に共通する普遍の性質だと思うのです。

ここからの過程は省くけど、ここがいけるようになって、こういう人の社会になると、
本当に、取り締まりや罰則が要らなくなる。人の行為にケチをつける必要もなくなる。
そうして、「物も金も自由使用のコミュニティ」へと、もうすぐそこまできている。
人 間 観 | - | -