動物的習性

危険を察知する・・・恐怖    身を守る・・・逃げる・攻撃する
動物には、生き続けようとする本能的な機能があると思います。
そして、生きようとする機能があるが故に、生息する環境によっては、身の危険を察知して、身を守ろうとする機能も具わり、作用するのでしょう。
どの動物にも、生きようとする機能は元々具わっているのでしょうが、身を守ろうとする機能は、環境に応じて、その種固有の身の守り方を具えて、代々遺伝していくのだと思います。
群れで生息するとか、巣を作るとか、体が保護色であるとか、代を重ねて、身を守るためにできた生態だと思います。逃げる・避ける・隠れるなどの身を守る行為も、遺伝的にというか本能的に具わっているものがあるでしょう。
例えば、南国の楽園のような地に生息する鳥は、労せずに食糧がふんだんに得られて、天敵から身を守る必要もないからか、カラフルで鮮やかな羽毛を具え、求愛のさえずりに余念がない・・・みたいですね。
身を守る行為として、他を攻撃するということがある。
生きるために獲物を襲う姿が「攻撃」のように見える場合がありますが、例えば、ライオンがシマウマを襲うのは食べるためであって、攻撃しているのではないと思います。人間が魚を取るのも食べるためであって、身を守るために魚を攻撃しているのではないですね。
熊が人を襲うとか、犬が人に噛みつくとか、これは身を守るための「攻撃」だと思います。人を食べたい訳ではないでしょう。

危険を察知して、身を守るにも、先天的なものと、自身の体験による後天的なものとがある。
断崖絶壁に立つと足がすくむとか、突然「ドッカーン!」と大きな音がすると恐いと感じるとか、先天的なもののような気がします。
飼い犬や飼育されてる動物が人に危害を加えるのは、先天的なものと、身の危険の体験を経てそうなった面とあると思います。

実際に危険な状況かどうかに関わらず、身を守ろうとして、逃げたり、攻撃したりすることがある。
こちらが近づくだけで逃げる動物はたくさんいますね。虫でも鳥でも魚でも。これらは本能的に身を守ろうとしているのでしょうね。犬や猫などは寄ってくるのと逃げるのといますね。本能的なものもあるでしょうが、自身の体験から危険だと察知しているかもしれません。時には、通りかかるだけで襲ってくる犬もいますね。なにか常に身の危険を案じて、身を守ろうとして、警戒しているのかもしれません。
逆に、逃げることも攻撃することも(身を守ることを)忘れてしまったのではないかと思うくらい、のうのうと暮らしている犬や猫もいるでしょう。

自分を(自分の観念・感情を)守ろうとして・・・
人間は観念動物・感情の動物といわれるくらいに観念や感情の要素が大きいですね。
今の世の中では、子どもの頃から「してはいけない」「しなければならない」ことをたくさん身につけます。それは裏を返せば、その通りにしないと、「自分に危険がふりかかる」と教えられているようなものでしょう。(強迫観念)
ここでいう「自分」とは、人に認められるとか、集団の中での立場みたいなものですね。
つまり、「自分を守る」ということは、観念や感情、精神的な面がとても大きいでしょう。
直接的な被害ではなくても、悪口を言う人がいたり、無視する人がいたり、反対意見を言う人がいると、自分を守るような反応をする場合がありますね。そして、逃げるとか、攻撃するという行為になって現われる場合があるでしょう。
それから、間違ったことをする人、悪いことをする人に対して、責めたり、腹を立てたりする場合もあるでしょう。直接的には、自分の身になんの危害も及ばないのにね。
これらも、自分の中にある観念・感情を守ろうとして、そのままを受け入れられない、自分の気が済まない状態で、そこから、攻撃的な反応になって現われているのだと思います。
自分が腹を立てている時の状態を、よーく振り返ってみて下さい。
腹を立てたって、なんの役にも得にもならないと思いますが、自分の観念・感情を守ることに躍起になっているような気がします。「そういう時には腹が立つのは当たり前だ」と思うかもしれませんが、何もしないでは自分が侵されてしまうような気がして(強迫観念)、自分を守ろうとして、相手を攻撃してしまうのではないでしょうか。

人間独特の強い観念と、自分を守ろうとする動物的習性があいまって・・・、
不安・疑い・警戒・怒り・憎しみ・反感・攻撃・排斥・抑圧・忍従・逃避・おちこみ・抵抗・虚勢・努力・頑張り・・・などに現われているのだと思います。
自分を守ろうとするのは、自分が侵される危険を感じるからでしょう。
この「自分が侵される危険を感じる」ということの殆どが、子どもの頃から教えられ身につけた観念的なもの(強迫観念)だと思います。
それをそのままにして、不安や疑いや怒りや争いをなくそうとしても、無理だと思います。
先ず、本当に安心できる環境で、自分を守ろうとする観念から解放されることだと思います。
動物によっては、エサを得ることと危険から身を守ることに、生きることの殆どを費やしている種もいるでしょう。・・・果たして、今の世の中の人間はどうでしょうか。
人間ならではの知能を発揮すれば、「物がふんだんに得られて、自分を守る必要もない環境」は、そう難しくないと思います。

随分、はしょったつもりですが、長文になってしまいました。
強迫観念 ⇒ 自己防衛 ⇒ 攻撃性 ・・・これの解決は、そんなに難しくないと思います。
人間に不安も怒りも必要なくなると、色鮮やかな鳥や のん気なペットの比ではないでしょう。
人間の本分が発揮されて、理性・知性・精神性・情感豊か・芸術性・崇高性・・・
無邪気で、素直な、輝く人ばかりの世界へ
                             つ づ く ・・・
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