人と人

どんなことをしても、どんなことを言っても、受け容れてもらえる安心感。(例えば母親の存在)
人がどんなことをしても、どんなことを言っても、受け容れてしまう自分に豊かさ心地よさを感じるもの。(例えば吾が子に対してとか・・・)
・無条件で人に受け容れてもらえる安心感。
・無条件で人を受け容れられる自分の豊かさ。
このことは、本能的にか体験的にか分からないけど、誰もが知ってるんだと思う。
でも・・・
これが、人と人の正常で当たり前の姿だとは思っていないみたいだな。
善悪観や好悪感など「条件付き」で人に接するよりも、「無条件」で溶け合える間柄の方を、誰もが心の底では希んでいるよね。
当たり前だけど、よそよそしい他人の間柄より、遠慮も気兼ねも要らない家族の間柄の方がいいよね。
でも・・・
こんなに当たり前な、誰もが希んでることを、今の世の中では特別な間柄だとしてるんだろうな。
無条件で溶け合える人の必要性を身をもって知ってても、それは極々身近な夫婦とか家族の中でしかないよね。
何十億もの人がいても、99.9999999・・・% 殆どの人に条件付きなのかな。
そういう間柄の人が一人もいない寂しい人もいるんだろうな。
でも・・・
人と人は、無条件で受け容れ、受け容れられる間柄になれるよね。
元々そういうものなのかもね。
生まれた時は、誰もがそういう状態だったのだろうけど・・・、
警戒したり疑ったりの他人感情を植え付けられて、善悪観や好悪感で人を差別するようになってしまうのかね。
人と人の間に、そんなものを持ち込まなくてもいいのにね。
簡単なことだけど、人間同士に他人なんて、ないよね。
現状の家族とか同志とか仲良しでは囲いや隔てがあるけど、溶け合える人と人に成ればね・・・、そんなのも要らない。
損得も所有もなくなって、お金のやりとりも要らなくなる。
罰則も取り締まりも、やらせたりやめさせたりも、人の上下もなくなる。
これは、決して高度なことでもないよね、本質的でシンプルな人の姿だよね。
この広大無辺の安心・豊かさから見たら、現状の安心や豊かさなんて、チッポケなもんだよね。誰にも判ると思う。
現状からは程遠く見えるかもしれないけどね。
でも、誰の中にも元々あるものだからね。見失っているだけかな。
でも・・・、唱えてばかりいても、始まらない。

具体的方法を考案して、安心と豊かさに満ち満ちた人と人に立ち還ろうとするもの。
それが、僕らの活動の本旨かな。難しいことじゃない。
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