自立した社会人③

一見、自発的にやっているような行為でも、つぶさにその中身を検討してみると、自発的なものではなく、他発的だったり、見返りを求めていたり、依存的なものだったりする場合がある。

例えば、車を運転していて、細い道で、車とすれ違う場面。
車を横に寄せて、対向車を通してあげる。
対向車が、スーッと通り過ぎていく。
「クラクションも鳴らさないで・・・(ちょっとくらいお礼の挨拶くらいしろよ)」
かすかながら、気分が悪くなったりするという場合。

相手が何もしないことで、こちらの気分が悪くなる。
これは、いったいどういうことだろうか?


自分が自発的にやっているように思っているが、中身を検べてみると、「○○してあげる」という意識が潜んでいることが明らかになってくる。つまり、見返りを求める、恩を売るといった意識だろうか。
だから、何も返って来ないと、不足というか不満感が湧いてくる。
自分の内発的なものでないから、返るものがあって、やっと帳尻が合うような心理機構になっているようだ。


相手に対して、何かをする場合でも、自立した人と、そうでない人では、まったく違う世界での行動になるのであろう。
自立していない人は、相手を喜ばせようと思って(喜ぶはずだとして)、何かをするのだろう。「相手のためにしてあげている」という見返りを求めるような心境なのかもしれない。自分の思う結果にならないと、がっかりしたり、肚を立てたり、「せっかく、してあげたのに」という反応につながっていったりするのだろう。
自立した人は、自分がそうしたくてしているという自覚がまずあるのだろう。「こうしたら相手が喜ぶだろう」ということが、自分の考えであるという自覚もあるのだろう。相手に尋てみるとか、自分で選んだ場合も、相手が喜んでくれたらうれしいなというような心境なのだろう。相手が喜ばなかった場合も、そこを受け入れ、じゃあどうするか、とか、自分の考えの足りなさなどに思いがいく感じだろうか。

自立した人達が作る社会は、どんなにかスッキリとしたものになるかが、垣間見れるようだ。
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