自立した社会人①

パンフレットに以下のような文章がある。
「アズワンコミュニティは、取り締まりや罰則の要らない社会を目指しています。
そして、ひとりひとりの任意の自発的自由意志で活動するコミュニティでありたいと考えています。
取り決めや指し図されての行動ではなく、ひとりひとりが自分自身を見つめ、調べ、考えて行動する、自立した社会人になることを最も大切にしています。」

ライフミーティングや、研修生コースを通して、自覚がないということは、自立した社会人になれない、ということが見えてきた感じがしている。
自覚がないということは、自発的になり得ず、外発的であり、すぐに何かのせいにしたり、見返りを求めたり、人を責めたり・・・という展開に結びつき、そのような人達の集まりの中では、規則や決め事が必要になって・・と、自分達が願う社会に至らない方向に進んでいくようだ。

例えば、
Bさん:「今から買い物に行って来るから、その後来るね」
Aさん:「Bさんが後で来るって言ってたから、待っているんだ」
が、結局、Bさんは来ない。
Aさんは、「待たされた」、「せっかっく、待っていたのに」と不平を洩らす。
という場合、
Aさんは、Bさんが来ると言ったから待っている、というような他発的意識。
自分が聞いて、Bさんはきっと来るだろうと自分で推察している自覚がない。そこがないから、自分の意思・考えで、「待とう」としているという主体的な意思が捉えられない。
実際には、自分が選択しているのだろうが、選択している自覚がない。Bさんに待たされている、というような他動的な、縛られているような意識状態。

○○だから、××している。
というように、他に原因があって、それで動いているかのような意識構造が、さも当たり前のようになっている人が多いようだ。
ここが自覚出来ないと、他に縛られ、他に動かされているような人、つまりは、人のせいにするような人ばかりが構成する社会が現れてしまうのだろう。

つづく。
自立した社会人 | - | -