覚書 Ⅷ

 内観法そのものに手を加えずに内観法の枠組みの中で、研鑚状態にある人が自己研鑽をするということは出来る。自己研鑽の場として活用できる。もちろん内観法そのものを改変・改良していく余地はあるとは思う。ただ今の「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」という三つのテーマで調べるという設定や、環境の用意のされ方等をそのまま採用しても、自己研鑽するのに支障はないと思う。

 もともと内観法でも具体的な事実を調べるというようにうたわれている。事実を見て調べようとする中で内容的には「自分は事実の一面しか見ていなかった」とか「自分の思い込みで事実が見えなかった」という気付きが出てくる。それがその人のそれまで持っていた人間観や人生観の転換に繋がるわけだし、事実を見ていこう事実に向き合い事実をそのまま受け入れていこうという姿勢(生き方)が養われる。内観法のそういう面が評価されているからこそ、精神医療・教育・社会更生等の現場で採用されたり、自己啓発のためにも活用されたりしているのだと思う。

 ただ、現在各地で行われている内観法においては、多分、人間(自分)の捉える事実と事実そのものは別という観点は、はっきりとは意識(自覚)されてはいないように思う。内観法にその観点を加えて実践・活用していくことかと思う。そうすることで、内観過程や面接も形式は変わらないが、実質の中身が何か変わっていくのではないか。
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