覚書 Ⅶ

 ある内観研修所の所長をされている人が、面接において内観の進展具合を観る時の観点をいつくか挙げていたが、その中で「その人に知恵が発動しているかどうか、苦しみの道理が観えているかどうか」というような表現をされた。

 苦しみの道理、心の動きの道理とも言い直されていたようにも思う。不平不満や怒りの感情の発生のメカニズムというものはあるのだろう。心理学等においても分析・解明されているのかと思う。ただ、内観で自分の心を観るといっても、そういう分析を自分に施すわけではない。考えるというよりひたすら自分の心を見つめようとする。そういう中で、たとえば不平不満の種(元)が自分にあることにフト気付く。今まであまり意識していなかったが親の愛情に気付き心が動く。自己中心的な自分の姿(心)が観えてくる。そういうことを体験するわけだが、それが自分の心を知るということで、それはまた心の理(心の動きの道理)に触れると言ってもよいのではないか。自分の心を見つめることで、苦しみの道理、心の動きの道理が観えてくる。その時その人の中に知恵が発動している。自分の内面に目を向ける素地が出来ている。
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