覚書 Ⅵ

 内観法の創始者吉本伊信が説いているように「いかなる状況にあっても幸せな心で暮らせるようになる」ということが内観の目的である。

 ある内観研修所の所長をやっておられる女性の言葉を借りると、
 
 「昔から、自分を知る目的で様々な試みが為されてきているが、いずれにしても、まず、自分と向き合い、自分で自分をしっかり調べてみることが必要となる」「自分で気付くことで人は変われる」「目の前の問題を解決するということのみにとらわれるのではなく、本人の心の持ち方自体が、幸せに生きれるような心に変わっていく」「内観を深めればどんな状況になっても人は幸せな気持で生きて行ける」。
 
 これらの言葉の中にも内観の目的や本質が表現されているように思う。
 
 内観(内心の観察)は自分自身の心の有り様・心の持ち方に焦点を当てるものだ。

 内観法の「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」という三つのテーマは、自分の心の有り様(状態)に焦点をあて、それを浮かび上がらせるテーマと言えるのではないか。この三つのテーマで周りの人に対する自分を調べることで、周りの人に対する自分の心の有り様が見えてくる。「面接者が特に何も言わなくても、自然に自分の中に気付きが出てくるのである」。

 苦しみの道理(心の動きの道理)も見えてくる。対人的心の持ち方(人格)が養われていく。自分で自分を調べることで、自分に気付き、幸せに生きれる心を自分で養っていく。こういうふうにも内観過程は表現できるのではないか。その過程で、自分を見る目(自己観察力)や自分を調べる力(自己洞察の推進力)が養われるという大きな余得もある。
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