試論 Ⅰ

 心底のもので構成される人間社会と表層のもの(人間の気持感情思い考え等の各種観念)で構成される社会というふうに分けて見ていたが、何か違う。やはり社会そのものの構成は人間の観念によるのだと思う。でも心底にあるものに気付いているかどうかでその社会の質が決まってくる。心底にあるものに気付いている人の観念と気付いていない人の観念とは質的に違っているから、それによって構成される社会の質も違ってくる。

 心底にあるものに気付いていない人は、自分の観念が表層のものであるという自覚がないから、その観念を大事に保持しようとして、観念が固定化絶対化しやすく、それによって構成される社会は形だけのガチガチの社会となり人を縛る。縛られた人の観念(気持も考え)も固まっていく。心底にあるものがますます見えにくくなっていく。身も心も表層だけの世界(観念だけの世界)にはまって生きていく。そこに自由はない。

 心底にあるものに気付いている人は、自分の観念が表層のものであるという自覚があるから、自分の観念を優先させたり大事に保持したりしようとすることもない。固定化絶対化することなく如何様にも進展していく。そういう観念で構成される社会はその時々で、ある形はとるにしても固定することもないから、「人に合わせて」というより「人と共に」どんどん変わっていく。表層のこと(人間観念および人間社会)は自由に如何様にも考えていける。自由はそういうところにあるのだと思う。
試論 (内観体験から) | - | -