―― < 精神革命 > ――

2006.02.12 Sun

自分を自覚する 人間を自覚する

自分の暮らし、行動、出てくる思い、感情、などを客観的に見る練習を・・・。
どういう意識で暮らしているか、どういう感覚で暮らしているか。

「自分の感覚」を知る。 選択・判断・行動の元になっているもの。
   ・「無意識」の意識。自覚のない「意識」。
   ・「共通意識」「共通観念」「社会通念」。

私は自分の感覚が、どれくらいあてになると思っているか?
  「素晴らしいこと」「ひどいこと」など、自分の感覚という自覚。
  みんなも同じ感覚? 誰もがそう思う? 自分の感覚を信じている。
  自分の感覚で人を裁く。自分の感覚で自分を裁く。

自分の感覚がどうなっているか、メカニズムを調べる。善悪判断なしで。
  「裁く」のは悪い、オカシイ、があると調べられない。

自分の感覚と人の感覚・・・自分の中で「他の人の感覚の存在」がどうなっているか。
  ここでも、良い悪いがあると自分の中身を調べられない。
  「人の感覚」という意識が無い時、自分の中はどんな状態か。
  自分の感覚という自覚意識なく、自分の感覚で暮らしている時、自分の中はどんな状態か。

「私はなぜ・・・?」と問えるようになる前の練習。
  自分がしている実態、自分の状態を捉えられるようになってから、「なぜ?」と自分に問う。
  オカシイから、ヘンだから、なぜ?と問うのではない。
  例 「なぜ食べるの?」
  頭で理由を答えるのではなく、食べる時の自分の状態を捉えられるようになってから、「なぜ?」が始まる。

自分の思いを優先する。
    先ず、自覚、それから、自分の中がどうなっているか、それから、なぜ優先するのか。
    自覚とは何か? 自覚がある状態と自覚がない状態との違いは?

自分の考えに自信がある
    先ず、自覚、それから、自分の中がどうなっているか、それから、なぜ自信があるのか。
    自信とは何か?
      「知っている」とは、どういう状態か?
       見た、聞いた、体験した・・・「知っている」となるのは?
      「思っている」とは、どういう状態か?
       過去に思った、いま思う・・・「思っている」となるのは?


自 動 販 売 機 の 例
お金を入れてジュースのボタンを押したらジュースが出てきた・・・○?
お金を入れてジュースのボタンを押したらコーヒーが出てきた・・・×?
お金を入れてジュースのボタンを押したらお金が出てきた・・・・・×?
お金を入れてジュースのボタンを押したら何も出なかった・・・・・×?

善悪○×判断を入れなければ、どれもが、そうなるべくしてなっているだけ。
結果の良し悪しではなく、どうなっているか、中の状態を調べる。

「ひとこと」聞いて、ああそうか、と出た自分
「ひとこと」聞いて、感情が出た自分
「ひとこと」聞いて、たくさん思いが出た自分

どうなっているか、その都度、その都度、自分の中のメカニズムに着眼する。

2006.01.23 Mon

メモ(生涯学究制の充実)

知能、知性、知恵など、なぜ「知」という文字を使うのか知らないが、
人間にとって「知る」ということは、とても大きいことだろうと思う。
他の動物の場合も、栄養になる食料や、安全な住み場を知って行動しているのだろう。
「知る」ことによって、行く先や方向を自分で定めることができるのだろう。

人は、知らず知らずの中に、理から外れ、人間らしくない状態に陥っていることが多いが、
「本来の正常な人間像」を知れば、自ずとその方向へ進み、そうなれるもの。
例えば全く未知のものに出会い、初めて知れば、「ああそうか」と素直に「知る」だけだ。
しかし、「本来の正常な人間像」を「ああそうか」と素直に「知る」ことができない人がある。
「本来の正常な人間像」を「ああそうか」と素直に「知る」ことができる人が欲しい。
そういう人同士の話は早い。何事にも通じて、すーすーいける。

「知る」ということは、すぐにそういう人に成るということでなく、先ず素直に「知る」ということ。
「ああそうか」と、素直に「知る」人はよいが、そうでなくて、いろいろと自分の考え(思い感情)等が出てくる人は、「知る」という前の準備が要ると思う。
「知る」状態になっていないと、「本来の正常な人間像」に出会うこと自体、逆効果になることもある。

研鑽セミナーや、予科、本科、専科、という順に素直に知って、その方向に進める人はよいが、
「知る」ことができない人用の「知る」前準備としての方法が要ると思う。
予科、本科、専科という課程で、生涯学究制を設けていきたいが、現状の人に応じて、それ以外の行程や方法など体制を逐次整えていく必要がある。

「知る」ことができる人になって、それから生涯学究制本来の「知る」課程に入れる。
紛争苦悩や思い込み信じ込みは、人間を知らないことから来ていると思う。
これらの解決・解消のために何に力を注ぐかだと思う。
だから、人間を「知る」ことが先決だが、素直に「知る」ことができない状態にまで病んでいる人間には、「知る」ことのできる状態、人間としての元々の状態に復帰することが先ず第一に必要と思う。

2005.11.07 Mon

「・・・は一日にしてならず」 というか

「稲の稔りは土中にかくれた根にあり」
「鶏の産卵は腹中の消化器にあり肉眼にみえぬ染色体にあります」
「目に見える部分よりも、形の無いものに本当の価値があるのです。」

こういうことが当たり前の中で、育ち暮らして来れば何でもないことなんだろうけど、
長い間、目に見えるものや感や情を主体で来ていると、こうなるのに一朝一夕では行かない。

①それには先ず、自分の思いをはさまないで、物の成り立ちや自分の成り立ち、存在や変化そのものありのまま受けられるように・・・。(そうなる為のキッカケとその後の方法・レッスンが要ると思うけど)
②そこをベースに、本質的な視点・観点・感性・感度など引き出され、観察力や思考力が育つと思う。
③そうなって、初めて、理念や真実のあり方や具現方式が役立つのだと思う。
人のことも、社会のことも、凡ゆる物事について、本質的に考え行えるようになるのが先決。

自分の身体・思考・感情・言動・生活全般の組成・構成を知るは格好の練習台。

急いで、はしょっても、ならないし、急ぐ必要は何もないし、その道を通るしかないような道があり、自分から道を外れないで、ただそこを通るだけだと思う。

2005.11.06 Sun

「錯誤」しているという自覚

【錯誤】の意
① まちがうこと。まちがい。誤り。
② その人の認識と客観的事実とが一致しないこと。
③ 民法上、意思表示をした者の内心の意思と表示行為とがくいちがっていることを表意者自身が知らないこと。

  (例えば、英和辞典を買うつもりで、気づかずに和英辞典を買うなど。)

チョンマゲ時代のことを聞けば、何故あんものしてたんだろうと思う。
でも、今の時代にも、いっぱいあるチョンマゲに代わるもの。

遠慮・気兼ね・寡黙・ひっこみ思案は狭い自己世界、自分の感性に自信がある人。
感動しやすいタイプは自分よりで、そのものありのままに対する感度が鈍いのかも・・・。

事実の世界は、一体だ、誰のものでもない、みんな繋がりの中で生かされている、と思っていても、自分の心の現われ言動が、くいちがっていることを知らない。

つまり、「錯誤」というのは「思い違い」ってことかな?
初めから違った思いをしてる人はないのだから、わざわざ実と違う思い方しなくてもいいのにね。
思いを直すよりは、先ずは、あれこれ思わないでいられたら、わざわざ間違えなくていい。
あれこれ思わないで暮らせる人はラク。

2005.11.03 Thu

「知らない」自分という自覚

○○さんって知ってる? ○○という芸能人のスキャンダル知ってる? ○○であった事件知ってる? ○○の作り方知ってる?・・・ 「うん、うん、知ってる、知ってる。」
果たして、いったい、何を、知っているんだろう?
テレビなどで見たり聞いたりしたことが、自分の口から、すらすらと出てくる。私は見たから、聞いたから「知ってる」ということか?
その実は知らなくても、知った気になっている、知ってると思っている

①知らない自分を知らない・・・・自分は知っていると思っている。
②できない自分を知らない・・・・自分はできると思ってやっている。
③服を逆さに着ている自分を知らない・・・自分は普通に着ていると思っている。
 ----この場合、人から指摘されて着直したとしても、自覚とは関係ない。
④願っていることと逆を向いている自分を知らない・・・・自分は願っている方に向かっていると思っている。

自分の実状を知らないで、自分の思いに任せて、やろうやろう、なろうなろう、としているのかな。

③の例なら誰の目にも明らかな滑稽な姿だけど、それ以外に、みんなもそうしてる、自分も気付かない(悦にいって、気を良くしている)滑稽さ・・・些細な日常生活の隅々に、いっぱいあると思う。
気分が良くて楽しいと、覚醒剤のようなものでも良いことしていると思いがち。

人間らしい人間になるために、始まりは現状の自覚から。
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