―― < 精神革命 > ――

2007.08.18 Sat

2007.08 自分を知るための・・・

自分を観察する(現象)  自分を観察する(頭の中)
五感について  感覚全般について  思い・考え・気持ち・心 と 感覚
<自分の感覚であるとの認識>

形容について   何を形容しているか
感覚 と 実際 との混線
 時間・時刻  金でものを買う  ルール・約束を守る  「・・・が要る」
<事実そうなのか 自分がそう思っているのか>

見る 聞く 味わう など・・・五感+認識のメカニズム
 五感と認識で「実際がこうだ」と事実化するメカニズム
 「人が決めた事」「自分が思ったこと」を事実だとして、それに沿って行動する
 知識 学説 体験 経験 などを事実化するメカニズム
 事実化していながら、その自覚なく、実際あるものとして暮らしている
        天動説感覚 ====>> 地動説感覚へ
<どのように見て・聞いて・反応しているか>

 感覚--->事実化--->架空
 実際--->感覚 --->現実
                 頭の中のこと
 出来事 → 報道   → 出来事を知ったつもり
 気持ち → 言葉   → 気持ちを知ったつもり
 声   → スピーカ → 声を聞いたつもり
 実際  → 映像   → 実際を見たつもり
 実際  → 計測器  → 実際の値を知ったつもり
 実際  → 記録   → 実際を知ったつもり
 実際  → 記憶   → 実際を記憶しているつもり
 実際  → 捉え方  → 実際を捉えたつもり
<実際はどうか、に関心がいくと・・・>

 「事実」の定義 「実際」の概念
 「自分の頭の中のこと」という回路・歯車が動き始めると・・・
 一人の人としての自覚・・・頭の中のことであるとの自覚(芽生える 養う)
 「記憶と事実」
 一人相撲・・・事実化した記憶による事実化した喜び・悲しみ
<自分の考えに自信があるから事実化する>

 そういう自分だとしている自分の考え
 自分の考えとはどういうものか = 自分の位置
 知っているつもりでいる自分(知らない自分)を知らない
 知らない自分であることを知る
 自分を知るスタート  実際を知るベース

2007.02.02 Fri

抜本塞源 (頭脳革命) 先ず ここから

認識のメカニズム → 日常生活 自分の見方・考え方
見たり、聞いたり、触れたり、味わったりして、思ったこと、感じたこと、それらが記憶され、蓄積され、今の考え方、性格、生き方、感情などを形成している。

私は、事実を見た、事実 体験した。・・・これは、その瞬間・瞬間
私が、見たもの、体験したこと。・・・これは、頭の中の記憶。
どれほど正確に記憶したとしても全く別モノ。

ビデオの例
事実を撮影した。・・・事実とは、時々刻々の出来事。
撮影したものは、・・・磁気テープや磁気ディスク。
出来事は出来事、・・・記憶装置とは全く別モノ。
 (食べ物の写真を撮っても、写真は食べ物にならない。)
事実を正確に再現しようと、ビデオ技術は向上するが、どこまで行っても、過去の事実を推し測るためのもの。
ビデをを見せられると、「事実こうだったんだ」と断定してしまう。或いは「事実を知った」となる。
更に、人間の記憶は、より断片的で、なおかつ、その人なりの捉え方で記憶している。
「事実を見た、体験した」とは言えるが、「私が見たこと、体験したことは事実だ。」と言うところに、大いなる混線があると思う。
過去だけでなく、現在の事実(地球の形、自分の体重、各地の実況、etc.)についても、何らかの媒体を介して、できるだけ事実を正確に推し測ろうとして現わされたもの(別モノ)を見ている。「事実を知った」とは言えない。

今の教育も全部この例。教わったら「事実を知った」となる。そういう人をつくっている。
毎日、毎日、言い合い、主張のし合いが絶えない、今の人の世。
自分の頭の中のことなのに、「事実だ」として言っている。

2006.12.14 Thu

よく見る

知るには、調べる。   調べるには、観察する。
しかし、思ったこと、感じたこと、に重きをおいて、それを言っている。
「観察する」とは、思ったり、感じたりすることでなく、「よく見る」こと。

見ているつもりでも、すぐに思いや感想が出る。実は、よく見ていない。
見ているつもりでも、実は、思いや感想をめぐらしている。

「見る」は「見る」。ただぼんやりと見るのではなく、「よく見る」
思ったり、感じたり、してもいいが、しなくてもいい。
要は、よく見ているか、どうか。
「よく見る」ことをしないで、自分を見て、人を見て、物事を見て、思ったことを言っている。

自分を使って「よく見る」練習。日常生活を使って「よく見る」練習。
思うより、言うより、人や物や出来事を、もっともっと「よく見る」。

自分を、近隣の人を、職場を、会社を、家庭を、知るには、先ず「よく見る」
自分を知るには、自分を「よく見る」。そして・・・
人生を知るには、人生を「よく見る」。
社会を知るには、社会を「よく見る」。

2007年 人生を見る 社会を見る 研鑚へ

2006.10.26 Thu

自分は どの辺りにいるか を知る

「自分を知る」プロセス

⑧ 自分というものがどういう存在であるかを知る
⑦ それは、自分の成り立ちを知るということ
⑥ それは、自分の本体というか、自分そのものを見るということ
⑤ それには、自分に着いた表層のもの(思いや感情・知識や経験 等々)を見ること
④ それには、現状の自分のありのままを観察すること
③ それには、人や物に気を散らさず自分を見る練習を積むこと
② それは、会話中も食事中も仕事中も、対象(人・物・事)を見るのではなく、自分を見るということ
① 「自分を見る」・・・この一点に賭ける暮らしを始める。


⑨ 自分の存在・成り立ちを知るということは、人の存在・成り立ちを知るということ
⑩ 人の存在・成り立ちを知るということは、社会の成り立ちを知るということ
⑪ 自分の成り立ちを知るということは、社会の成り立ちを知るということ
⑫ 自分を知るということは、この世界を知るということ
⑬ 自分を存在させている世界の大きさを知るということ
⑭ 自分が受けているものの大きさを知るということ
⑮ 際限なく多くのものを受けている自分の心が実現する
⑯ 際限なく多くのものを受けている自分の人生が始まる

2006.06.09 Fri

Re:「実際はどうか」に関心がない人へ

自分が見たり聞いたりして、それに対して思ったり考えたりする。
その人の中で、見たり聞いたりしたことは「実際だ」となっていると、「実際」に対して思ったり考えたりしているつもりになる。
頭の中にあるのは、見たり聞いたりしたことで、頭の中には「実際」はない筈。
頭の中に「実際がある」となっていて、それに関心がある。
それで「実際に関心がある」つもり。
実は、「自分の頭の中のことに関心がある」ということにすぎない。
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