本質的なものに重点をおく 4

放したら、豊かになれるんですか?
一つでやれば、仲良くなれるんですか?
自分の考え持たなければ、自由になれるんですか?
    ・・・いいえ、なれないでしょう。
真実に生きると、何かいいことあるんですか?
    ・・・いいえ、何もないでしょう。

豊かだなぁ、自由だなぁ、仲良しだなぁ、幸福だなぁ、と感じたいという欲求からくる結果的・報酬的な「豊かさ・自由・仲良し・幸福」願望。


不自由だなと思ってその組織の仕組みや環境を指摘したら、「私は全然不自由と感じない」と言う人がいた。
「不自由を感じない=自由」なのだろうか? 「住めば都」とも云うが、人間はどこまで不自由を感じなく(不感症に)なれるのだろうか、と不思議にも思う。
金が要るとか、パスポートが要るとか、義務や責任も「そういうものだ」と思えば、不自由と感じない。束縛を強くしておいて少し緩めれば随分自由と感じるだろう。
感覚頼りの幸福では、惨めな、みみっちい、狭い、低い、張り合い、取り締まり合い、我慢し合い、自分だけの幸福感で甘んずる人間に成ろうとするしかないだろう。
感覚頼りの豊かさ感・自由感・幸福感を追っているから、結果や効果が気になるのだろう。
実質ある本当の豊かさ・自由・幸福を指向するなら、まずその実態・正態をハッキリ知ることから。


放す即ち真の豊か 持たない即ち真の自由
抜本塞源 急転直下 即身成仏 現状そのまま 座ぶとんをヒックリ返すような世界革命
持たない=一つ
||
豊か・自由・仲良し・幸福・真実

幸福が真実であり、即ち 真実であること自体が幸福
(幸福だと感じるとか感じないとか関係ない)
幸福かどうかは真実かどうか、豊かかどうかは真実かどうか、自由かどうかは真実かどうか、仲良しかどうかは真実かどうか
つまり、凡ゆることについて本当かどうか
それには、いろんな尺度や価値観を持ち込む要がない
「本当はどうか」が実在するかどうか。
本質的なものに重点を | - | -

本質的なものに重点をおく 3

御利益(ごりやく)を有り難がって熱心にお勤めする信者
・・・といっても、まるで他人事のように聞こえるかもしれませんが・・・、


例えば、いわゆる共同事業、共同経営、業務提携などは、
互いににメリットがあるからやろうとするもので、メリットがなければやる意味がない。
メリットを見込んでやり始めても、メリットがなくなれば解消する。
一緒にやるメリットがなければ、一緒にやらない。
今の世では、そんなことは当たり前で、「そりゃぁそうでしょう」と、おかしくもなんともない。


一つでやるとか、持たない放すとか、・・・・メリットがあるからやるのか、なければやる意味がない?
一つで持たない生き方をやりたいと思ってやったけど、窮屈だし、仲良くないし、豊かにならないし、やってる意味ないとか・・・。
楽しく豊かそうに見えても、メリットがなくなるとやめてしまう人たちなら、いかに盛んでも、事が起こればすぐに崩れる砂上の楼閣。
メリット・御利益・効果があるが故に、まじめに一所懸命やってる人もいる。
「一体」とか「一つ」という言葉を使っていても「良ければやる」という打算的・相対的なもの。ご都合便利一体。


ここ(鈴鹿)では、一時50世帯以上が一つでやろうとしてやっていたが、決して家計は楽じゃなかった。そして、その大部分がやめてしまった。(こんなことなら個々でやった方がいいと・・・)
そういう体験を経て、研鑚が軌道に乗り始めた。(本当の社会の必須要素、人と人にとって何が大切か・・・)

どんな事があろうとも、何が無くても、一つで持たない人たちとは・・・。
一体とは絶対を願うもの。順調に行ってるように見える時こそ、そこに着眼。
本質的なものを心から指向し、そういう視点・観点がある人なら、すぐ判る筈。
どこに重点をおいて暮らしているか。
本質的なものに重点を | - | -

本質的なものに重点をおく 2

○○さんライフミーティングに来たよ、すごく喜んで帰ったよ、コースにも参加するって、会員にもなるって、
○○さん鈴鹿に引っ越して来るって、アズワンで働きたいって、
・・・何を言いたいのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、
事業をやろう、お店をやろう、若い人が集まった、評判も上々、業績も上々、計画も着々、予定通り、予想以上、思いがけない嬉しい事態、
・・・何をやろうとしているのだろう、何が嬉しいのだろう、どんな心境なのだろう、

本当の積み重ねからしか本当の実現はないと思うけど。
私がやっていること、私が嬉しいと思うことは、本当(真実)なのか。
本当・真理・真実 を私は嬉しいと思い喜ぶのか。私の喜びは何処から?

成績が上がるのを子に望む親なら、成績上がれば嬉しい
礼儀正しきを子に望む親なら、礼儀正しくなれば嬉しい
自分が正しいとか良いと思うことが実現すれば嬉しいという次元ではどれも同じかな。

「本当の社会」とか「本当の生き方」とか言うけど、ホントウに「本当(真実)」に関心あるのかな? そこをメインに暮らしているのかな? あまり関心あるように見えないけど・・・。
あまり関心ないのに 実用・実現する筈ないと思う。
本質的なものに重点を | - | -

事実・実際とはどういうものだろうか?

1.事実・実際の捉え方の実情
・「老夫婦が散歩をしているのを見た」という例
見ただけで、「老夫婦」、「散歩している」となってしまう。
では、聞いたら、確かめたら、事実か?
「やっぱりそうだったんだ!」・・・「見たらそう!」「聞いたらそう!」の世界
・何故そうなるのか?
事実・実際とはどういうものか?を知らない。
人間の考えと事実の混乱・混線 → 正しきに戻す

2.事実と人間の認識の関係
ninshiki
・ビデオの例
事実と記録の違い
ビデオは、事実を正確に再現させようとする
映しているのは、事実のほんの一端の情報
現状・・・ビデオを見ると、「事実はこうだったんだ」「事実を知った」
・人間の脳
ビデオより断片的・編集が加わる。
記憶は、どんどん薄れたり、変容する。
事実と頭の中は別
頭の中を事実だとする観念・・・ 盲信(深いキメ)、大いなる混線
事実を知っている状態・・・ 実際は知らない。ほとんど分からない。
捉えたものを事実と言えてしまう。


3.人間の観念の現状
・何を事実?
空想でない、嘘でない くらいの認識
頭の中が実際
頭の中・・・記憶・知識
記憶を事実とする。
記憶を見ているのに、「事実を見ている」つもり
自覚がない  実際を見ているつもり
証明が出来るという考え  これも頭の中
・実感重視
実感が強いほど事実・・しっかり聞いた、ちゃんと見た→ 検べるほど強化
・ 事実かと問われると、「事実でないと言われている」と捉える
否定されている感覚
・自覚なし
見たこと・聞いたことが事実
実化して、それに反応して、次の事実化 → そこから感情
キメつけ・盲信  ここをなおざりしては
「事実だ」としてキメつけている。
・事実化の症状
ないものが見える。
実際の方がおかしい。「あり得ない!」
「あるはずのないことが、実際に起こっている」
感情・・・怒り、ひっかかり、落ち込み、責め

4.事実・実際とは?
・事実・実際とは
時々刻々の出来事・・・瞬間、瞬間
広大無辺の様相
今の自分の実際、実際の自分
・事実は知りようがない
事実は捉えられない。
広大な実際の世界
人間の考えに対する認識
→ここから、今の人間の観念界を見直してみると・・・

5.考え方の革命
・事実・実際の捉え方の革命
事実と人間の考え方の分離
人間の考えの位置づけ
・実際の世界への興味・関心
実際はどうなっているのか?
本当はどうか?
→ここから研鑽が生まれる
・地動説感覚から天動説感覚への革命
天動説感覚・・・見えるからそう。
地動説感覚・・・見えるけど、本当はどう?
研究所サロン | - | -

本質的なものに重点をおく 1

実名をあげた方が、グッと現実感でるかな・・・
M さん T さん S さん O さん K さん T さん etc.・・・
自分のための稼ぎ働きではない人ばかり。
・・・・けど、現象面を見て、自分の中の良いという思いで決断・判断し、自分が良いと思う状態だと喜んだり評価したり・・・
この人たちが、現象面よりも本質的な方へ重点いけば、いくだけ、それぞれの持ち場の実態が全然違ってくる。(この社会実現はこの途しかないよね)
「本質的なものに重点をおく」って、なんだか人任せ?自分がやることだと思っていない。どうすることか分からないから?
でも、ここをやらない限り、現象で喜ぶ感人種の乱造だよ。特に他の人に関わる役割に就いている人は・・・。
重点、関心、着眼点・・・って、そこに置こうと置こうと強く思ったって置けるものではない。
やはり、調べて、調べて、目的・狙い・理想・本当・・・自分の中を研鑽。
自分の中で重点を置くところが変わっていくもの。変わっていくというよりハッキリしてくるのかな。今はハッキリしてないのだろう。
現状は、その人がやろうと思うことをやっているのだろう。
こちらから見て「本当にやりたいこと、やろうとしてるのは、そこじゃないだろう」と言いたいけど、それを言ってしまうと分からなくなって固まってしまう・・・?。
まあ、各々、ご自分の抱かれる理想社会を目指しての活動以外ないんだけどね。

さて、本題の「本質とは」なんだけど、言葉で云えば、あまりによく知っているよく分かっているというヤツだ。そんなによく知っているよく分かっているのに「なぜ日常生活でそこに重点を置かないのだろう?」と、こちらから見ると不思議でならんのです。
本質的なものに重点を | - | -