生涯学究制 構想メモ

本来の生涯学究制というものを考えていくというのを始めてみたい。
思いつくまま、メモ。

合宿のコースや、セミナーも、生涯学究制の一つの要素。要素はもっともっと充実・発展していく。
コースに参加するということでもなく、先ずは生涯学究制の趣旨に賛同した人が会員になり(具体的な順序では、コースに参加して、趣旨を知り賛同するというケースが多いかもしれないけれど)、生涯学究制の担当の人と検討しながら、適切な機会に趣き、自分自身を検べ、試して、本当の人生を歩んでいく。

今は、個人が自分が生きたい時に、行きたい機会を選んで行くという形態になっているだろうが、生涯学究制会員が、生涯学究制の方と検討しながら、適切な機会に参加していく。

その人が本来の人生を歩めるようにということなのだろうが、そのためにも、持ち味を検べ試し、適正な場に就いていくのだろうが、それをその人の意思ややる気だけに任せておかないで、社会の制度として、適切なプログラムや場を用意し、持ち味を検べられる機会や場を設けていくような機関として生涯学究制度があるのだろう。

場としては、専科も試みていきたい分野。適性試験科を経て、自分の目的をはっきり知った人が、専門の場に就いていく機会、これもこれからの大きな課題。そういう域に達してきた人もいるようなので、認定を経た人で試験的に開催、ということもできそうだ。

また、学究の前手というか、検討できる状態になるための場ももっと充実する必要があるのかもしれない。心の傷というか、生育歴の中で、何か心理的に重たいものを背負ったような人については、検討できる状態になるために、適切な場で、治療的要素で、そこを治めておくことが要るのだろう。
今の生涯学究の陣容や力量からすると、この辺の治療的分野はまだ未着手、未開拓、手付かずの分野という感じもする。
そういう現状を踏まえ、今、内観療法や、禅や、カウンセリングなど、今の現状でやってくれている場も、生涯学究制の中に位置付けられないかと、検討が始まっているところだ。
生涯学究の担当の人と検討しながら、その人が真の人間になっていくのに適切な場も探りながら、やっていくことになるかもしれない。
心の傷とか、治療的とか聞くと、マイナス的なイメージを持つ人がいるかもしれないが、今の社会の中では、健康な心で育った人は少ないのかもしれない。そういう意味ではどの人も、一度は自分の成育歴など客観的に検べる機会は、どこかで必要なのかもしれない。
こういう分野も、研究と、陣容の充実の中で、生涯学究制の中で、確立、位置付けられていくのだろう。
振出寮も、もう一度、趣旨や位置付けを見直して、方法面も検討して、より充実していくことも必要だろう。

生涯学究制の会員(学生?メンバー)になると、その人達用のブログや、メールやHPなども用意されていくのだろう。
杉江さんのブログにもあったが、今の研究所会員ブログも、研究的な内容と、合宿コースに参加した人達が、自分の生活、暮らしの日記的、記録的なものと交流的な要素として使われていると思う。そこも目的に適った分類をして、研究的なものは研究所ブログとし、生涯学究制のメンバーのブログは日々の記録や交流の場として発展させていくというのがいいのではないかと考えている。

名称も、踏襲とならず、中身を現す内容の表現に・・・。
as one 活動体というのも出されている中で・・・。
生涯学究制と内観法について | - | -