「・・・は一日にしてならず」 というか

「稲の稔りは土中にかくれた根にあり」
「鶏の産卵は腹中の消化器にあり肉眼にみえぬ染色体にあります」
「目に見える部分よりも、形の無いものに本当の価値があるのです。」

こういうことが当たり前の中で、育ち暮らして来れば何でもないことなんだろうけど、
長い間、目に見えるものや感や情を主体で来ていると、こうなるのに一朝一夕では行かない。

①それには先ず、自分の思いをはさまないで、物の成り立ちや自分の成り立ち、存在や変化そのものありのまま受けられるように・・・。(そうなる為のキッカケとその後の方法・レッスンが要ると思うけど)
②そこをベースに、本質的な視点・観点・感性・感度など引き出され、観察力や思考力が育つと思う。
③そうなって、初めて、理念や真実のあり方や具現方式が役立つのだと思う。
人のことも、社会のことも、凡ゆる物事について、本質的に考え行えるようになるのが先決。

自分の身体・思考・感情・言動・生活全般の組成・構成を知るは格好の練習台。

急いで、はしょっても、ならないし、急ぐ必要は何もないし、その道を通るしかないような道があり、自分から道を外れないで、ただそこを通るだけだと思う。
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「錯誤」しているという自覚

【錯誤】の意
① まちがうこと。まちがい。誤り。
② その人の認識と客観的事実とが一致しないこと。
③ 民法上、意思表示をした者の内心の意思と表示行為とがくいちがっていることを表意者自身が知らないこと。

  (例えば、英和辞典を買うつもりで、気づかずに和英辞典を買うなど。)

チョンマゲ時代のことを聞けば、何故あんものしてたんだろうと思う。
でも、今の時代にも、いっぱいあるチョンマゲに代わるもの。

遠慮・気兼ね・寡黙・ひっこみ思案は狭い自己世界、自分の感性に自信がある人。
感動しやすいタイプは自分よりで、そのものありのままに対する感度が鈍いのかも・・・。

事実の世界は、一体だ、誰のものでもない、みんな繋がりの中で生かされている、と思っていても、自分の心の現われ言動が、くいちがっていることを知らない。

つまり、「錯誤」というのは「思い違い」ってことかな?
初めから違った思いをしてる人はないのだから、わざわざ実と違う思い方しなくてもいいのにね。
思いを直すよりは、先ずは、あれこれ思わないでいられたら、わざわざ間違えなくていい。
あれこれ思わないで暮らせる人はラク。
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「知らない」自分という自覚

○○さんって知ってる? ○○という芸能人のスキャンダル知ってる? ○○であった事件知ってる? ○○の作り方知ってる?・・・ 「うん、うん、知ってる、知ってる。」
果たして、いったい、何を、知っているんだろう?
テレビなどで見たり聞いたりしたことが、自分の口から、すらすらと出てくる。私は見たから、聞いたから「知ってる」ということか?
その実は知らなくても、知った気になっている、知ってると思っている

①知らない自分を知らない・・・・自分は知っていると思っている。
②できない自分を知らない・・・・自分はできると思ってやっている。
③服を逆さに着ている自分を知らない・・・自分は普通に着ていると思っている。
 ----この場合、人から指摘されて着直したとしても、自覚とは関係ない。
④願っていることと逆を向いている自分を知らない・・・・自分は願っている方に向かっていると思っている。

自分の実状を知らないで、自分の思いに任せて、やろうやろう、なろうなろう、としているのかな。

③の例なら誰の目にも明らかな滑稽な姿だけど、それ以外に、みんなもそうしてる、自分も気付かない(悦にいって、気を良くしている)滑稽さ・・・些細な日常生活の隅々に、いっぱいあると思う。
気分が良くて楽しいと、覚醒剤のようなものでも良いことしていると思いがち。

人間らしい人間になるために、始まりは現状の自覚から。
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「思っている」「・・・つもり」という自覚

私は「知ってる」「分かってる」つもり。
「知ってる」「分かってる」と思っている。

「知らないこともある」「分からないこともある」と言う。
つまり、「知ってることがある」「分かってることがある」ということか。

「知った」「分かった」「知ってる」「分かってる」とは、どういうことか。

例えば、「感覚主導」とか「自覚がない」と聞いて、
だから、どうなのか なぜ、そうなるのか それで、どうするのか ・・・と、
それについて意見を述べたり、原因をさぐろうとしたり、反省したり、行動しようとしたりする。つまり、すぐにその次へ行こうとする。
それは、もう既にそのことを「知ってる」「分かってる」つもりになっているからか。

原因・反省・改め・実行 に移るということは、既にその意味を
「知ってる」「分かってる」と、自分の中でなっているからか・・・・


幸福を知らない自分を知らないで、幸福になろうなろうとしている
聞くを知らない自分を知らないで、聞こう聞こうとしている
一つを知らない自分を知らないで、一つでやろうやろうとしている
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感覚主導という自覚

自分の身に絶えず作用している気圧や重力など感じることができない。
地球の自転や公転も、地表が球面であることも感じることができない。
身近な人には自然死でも深く悲しむことがある。
遠くで多くの人が悲惨な死に方をしても、さほど悲しみがない。
自分の体内のことでさえ異状を感じないから大丈夫とはいえないもの。
そこで、「感覚」とは、「感情」とは、どういうものかとの認識が始まる。

現実を見てみると、
食べるのも、着るのも、行動するのも、是か非かを決するのも・・・、
選択判定の基準は「感覚」で、行動の原動力は「感情」か。

いつも「感覚」が最前列に居座って指揮をとっている
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