第2回 研鑽科学サロン 「社会観の元となる人間観」

えっと、引き続いて人間とか、社会について調べていくということで、えっと、あの人間とか社会について調べていく、まあ科学していくとか、言ってもいいんだけどそういうことをやっていこうとしてまあ研鑽ということばを使っているんだけど調べていく研鑽していくまあ人間のことを研さんしていく社会のことを研さんしていく調べていくっていう時に、動機というか、いろいろ、その人間とか、社会について、間違いや問題が多いと、そいうものを、やっぱ、間違いを取り除いたりとか、そういう問題を解決したいと、思うがゆえに、人間とか社会のことを、調べたいという。そういう動機ちゅうのも、多いと思うんだけど、例えば、ひとのことでいったら、あの、悩みとか苦しみとカ怒りとか、まいろんなものがあってそういうのを無くしたいとか、解決したい。
社会だったら闘争とか貧困とか、いろんな事件やら問題やらあるから、そういうものを、なくすために、社会のことをもっと研究したいというそういう方向もあると、思うんだけども。。まあちょっと純粋にっていうか、人間そのもの社会そのものを調べていくっていうところから見た時に、その問題があるから調べんならんのか、研鑽せんならんのか、とか。
じゃ問題が無いんだったら、もう調べないんか、とか、研鑽しないんか、という。ことになってきているんかと思うんだけども。。
とても意欲があって、人や社会のことについてしらべたいという意欲や熱意があるとしても、まぁ、どういう動機なのかなぁ、興味や関心、問題、とか間違いとか薄れていったり解消されたりとか、個人的な感覚でいったら、楽になったぁとか楽しくなったとか、そういうことで調べたりする必要が、無くなってくるのか、意欲が薄れていくのか、ということも思うんで、問題視しているうちは研鑽したいと、問題視している人は研鑽したい。
あんまり、問題視しない人は研鑽しない。調べる意欲がない。
問題視するひとは調べたい、問題視しないひとはあんまり調べようと思わないんで、そのどっちかだと、あの、いつまでたっても純粋に人間とは何か、社会とは何か、そこをしらべるちゅうことが始まらない感じがするね。いろいろ、そういう間違いとか問題とか悩みとか苦しみとか、あったらそういうものを取り除きたいたいという。そういう欲求とか思いとかは出てくると思うんだけども、まあそういうものをあんまり抱えていたり、そういうものに直面してると、そのもの、人間そのものとか、社会そのものとかいうことを調べにくいのかな、?????思います。そ??
間違いとか、問題とか、そういうことを解消したい。そこに重点があったりとか、まあ自分の悩みとか苦しみとか悶々としているところを晴らしてすっきりさせたいとか、そういうところに重点があると、やっぱり、あの、すっきりした。楽になった。問題と思われるところが解消した。ということで、なんか、正しくなったように、事態がすすんだように思いがちていうか、まあ極端な例で言ったら。
あの、体のどこか具合悪くて痛くて痛くてしょうがないていうのを、痛み止めの注射とか、もっと言ったら、麻薬みたいなの打ってもらったら、ほんとうに楽になったと。これやっていたら、楽に暮らせると、痛みなく暮らせる。とてもいいものをみつけたと、そう思う人もいるわけで、で楽になった痛みなくなったって、いいと思っているけども実際は、もうどんどん体は、ねえ、虫ばまれているっていうような。そういうこともあるわけで、精神的にも、あの癌で苦しんだり、いろいろ社会的にも問題があるとかっていうことを、それが無くなったら、まあほんと根本的に無くなったらいいと思うけど、自分の思う問題だからね。自分の思う悩みや苦しみだから、で、自分の思う解決がなされて、自分の思う楽や楽しさがやってきたら、それで進んだかのように??
そういうことも往々にしてありがちだな。ということで、研鑽するとか、科学するとか、調べるとかいうことで、問題があるとかないとか、間違いがあるとか、無いとか、まぁそいうものを棚上げしてというか、純粋にそのものを調べていこうっていう、そういう機会にしていきたいなと思っているんですけど、まあそうやね。宇宙を科学するとか、ね、物質を科学するかいったら、別に宇宙や物質に間違いがあるから科学するわけじゃないよね。間違いがあるから調べたいとか、なんとか知りたいとかいうことでもないと思うんだけど。

それで、あの、今日ちょっと、あげたいなあと思っている。
欲求とか、感情とか、意志とか、調べてみたいなぁと、思っているんですけども。
あの、別に暮していて、いろいろ、いやなことがあるからとか、なんとかここをこうしたいからとか、問題があるから欲求とか感情とか意志のことを調べようってん、じゃなくて。
まあ毎日の自分の暮らし、人の暮らしとか、生きている姿みたら、いろいろ欲求とか感情とか意志によって、行動して暮らしている。まあ大きな部分を占めているのかなぁと思って、まぁ、そのことについて触れてみたいなと思っているんですが。
あの、人には一人一人、その人その人の頭に脳があって、頭脳があって、その頭脳の働きでいろんなことを思ったり考えたり、いろんな気持やら感情やら、でまあ、そういう欲求や思考から、こういうことをしようとか、ああいうことしようとか、いう意志とか行動がでてくると思うんですけど。だいたいその人から、あの、欲求も感情も意志も、その人からでてくるものだから、一人ひとりに、欲求とか、感情とか、意志とかが、あるなぁという感じがするんですけど。まあ、その、欲求とか感情とか意志が出てくるというのもその人がそれまで生まれてから、ズーット、そのひとのなかに培われた、あの、観念というか、いろいろな感覚とかいうのも、記憶とか経験とかの蓄積から、そのひとなりの感覚とか観念とか、まあいろいろ考え方とか、いろんな言い方してもいいかもしれないけども、そのひとなりの、まぁ、ここでは観念というとくけど、観念が頭の中に形成されていてそれの影響受けて、そのひとなりの欲求とか感情とか意志とか、でてくるのかなぁというふうにおもって。まあでも、ぱっとみたらその人の欲求、その人の感情、その人の意志っていうことになるんだけども、そういう欲求とか感情とか意志とかは、どうしてそういうものになっているんだろうか。どうしてそういうものが出てくるんだろうかっていう風に、調べてみたら、やっぱ、その人が、こう、生まれてからズーット今まで、いろいろ受けてきた、その人の中にできている観念とか感覚とか、そういうものによって、その人なりの欲求とか、感情とか、その人なり意志ができているんだろうなぁと思って。
生まれてからずっと、今迄に培われて蓄積されて、こう頭に形成されている観念というのはまぁすごく重要な位置をしめるというか、すごく大きくその人の考えや行動に影響してる。まぁそういうところから、どんな観念なんだろうとか、どんな感覚なんだろうとか、いろんな研鑽機会では、そこを、ねえ、重点をおいてというか、もっともっと調べていきたいなぁというふうに進んでいるだと思うんですけども。
まぁ今日書いたものにもちょっと載っているんだけど。あの、単純な例でルールとか規則とか約束とか、いろいろ申し合せで、決めたことでもいいんだけども、そういうものがあると、まあ、それを守ろうとする。そのとおりやろうとする、というような、意志が働くとね、まぁ、ぜんぜん働かない人もいるかもしれないけど、それも日常、それになれていると、もう、それが当たり前になってね、なんかをみんなで決めたら、それ、そのとおりやろうとするとか、ここにこういうルールがあるよと言われたら、それに沿って、それを守って、外れないようにやろうとするとか、まぁそういう意志というか、そういう発想って、なりやすいと思うんだけども、それもどうして、みんなで決めたことやルールがあると、それを守ろうっていうような発想が、そのとおりやろうという発想が出てくるのかなぁっていうふうに、調べてみると。。。
単純に言えないかもしれないけど、その基には、ルールっていうのは、みんなで決めたルールは守る。守ってあたりまえとか、だけど、守らなければいけないとか。あんまりそんなこといちいち、ルールだから守らなければいけないよねぇとか、申し合わせたりしないけど、こういうルールにしようとか、段取りなんかでも、こういう段取りにしようとか、ここではこうしようとか、もっと言ったら、いろいろ法律とか規則とか、まぁ、そういうものが、あるとそれを、守ろうとする。そのとおりやろうとする。という基には、なにかそういうものを、守るのがいいと、か守らなけりゃいけないとか、なんかそういうものが、今迄、ズート育ってきた過程とか、そういう中で、自分の中に、そういう観念が形成されているんじゃないかとか、まぁ、ルールに似ているかもしれない。
たとえば予定を立てたりするじゃんね。みんなで、なんかこうしようという予定を立てたりすると、予定どうりにやろうとするとか。これも一概には言えないけれど、まあ、そういう時でも、もしかすると、その中に、予定どうりに実行するのがいいとか、予定どうりに実行すなければいけないとか、なんかそういうものが、自覚ない、意識ないけども、そういうものが自分の中にあると、もう予定を立てたら、その予定を実行しようとする。とか、今、言ったのは、あのう、守ろうとするとか、そのとうり実行しようとする。というような、まぁ、分類したら意志のようなこと言ったんだけども、これあのう、意志だけでなくて、予定を立てると、予定どうり、やりたくなる。とか、そういう欲求が出てくるね。(笑)
予定どうりいったりしたらうれしいとか、予定どうりいくと満足、予定どうりいかないとイライラしてくるとか、結構意志だったら、意識的な感じするけど、欲求とか感情なんていうのは、無意識に出てくるよね、出そうと思わなくても、出てくるもんなんだけどさぁ、自分の中にある自然なものみたいな風に、欲求とか感情とか、案外思いやすいんだけども、でも予定立てるとなんか、それを予定どうりやりたくなる。予定どうりいくとなんとなく気分がいいとかさ(笑)そういうのが、感情ちゅう言ってもねぇ、感情、感情ちゅうても、なんなんかなぁ~。どこから来てるんだろなとも。。予定とかルールとかになるとさぁ、あのう、自分だけその通りやるでは、すまないよねぇ、やっぱり、人にもその通りやらせたくなるやんね、自分だけ予定どうりやってても、あんまり意味がない。他の人が、やらへん、無視して動いていたらさ、自分は満足できないね。自分の中に予定どうりやって満足というか、予定どうりやりたいのがあったらさ、自分だけですむことだったらいいけども、みんなでやる仕事なんかだったら、みんなも予定どうり、やらせたいとかさぁ、皆が、他の人が予定どうりやらないと、ちょっと、不愉快になってくるとか、そういう、あの、意志というのは、わりと意識的に自覚しやすいけども、欲求とか、感情とかはね、なんか、自然なもの、みたいに、とらえやすいよね。ちょっと、ほんとに自然なものかどうか。
日常いろんなことやっては、それに対して、自分の意思が出る。出てくるね、自分なりの、こうしたいなぁ。とか、こうしたいなぁは、欲か、こうしようとか、で、こうなったらうれしいとか、こうなったら、なんか、ガッカリだったなぁ、とか、いろんな、そういう、出てきた現象化した欲求、感情、意志ていうのは自覚しよと思ったらわりととらえやすいと思うんだけども、そういうものが出てくる、基っていうか、自分自身、自分自身脳の働きとかあるんだけども、そこになにかしら今まで培われた観念とか価値観とか、いろんなものがあって、それを通って、いろんなね、欲求とか感情とか、意志っていう、表れ方しているのかなぁ~。
欲求とかいうの、わたしどうしてもこれやりたい、というと、すごくあの、自分、自分そのものみたいな感じするよねぇ、これがやれてすごくうれしいとかさ、これがここまで進んで私はすごくうれしいんだとか、だけども、うれしいというのはどこから来ているんだろうとかね、それほどまでにそれをやりたいというのはどこから来ているんだろう。本当に自分なのかなぁとか、自分の意志とか、自分の欲求とか、感情とか、どこから来るのか。
まぁもうちょっと言うと、さあ、あの、たとえば、いい大学へ入りたいとか思う人も居るじゃん、いい大学入って、まあ、一流大学入って、一流の会社に就職したいとかいう。そのために勉強するんだとか言うて、やる場合があるやん、まぁその、いい大学はいりたいちゅう欲求はなんなんだろうね。なんかあるよね。なんかあるから、そういうものに、そういうあれ?????
で、今
結構自律とか、さあ自主的とかいうあのテーマも、よく聞くんだけども、意外とあの、意志がはっきりしているとさぁ、自主的とか、自発的とか、思いやすいよね、思いやすいというか、感じやすいよね。
でもね、たとえばその、いい大学入りたいちゅうようなものはさぁ、ほんまに、その人の中から出てきた自主的な意志か、欲求か?だね?なんか、はっきりしていたら自発的、ていうことでもないんじゃないの。はっきりしていらた自主、自発的かどうか?ほんとうに自分は、なにがやりたいんだろう?ちゅうのもあるし、私これがやりたいんだぁ~というのなんか、これがやりたいんだぁ、というのは、そのお、これがやりたいんだというのは欲求ちゅうことになるよね。それがやったことで、もう達成感があって、すごくうれしいとか、満足だという、そういう感情もね、その人の中から出てくるんだろうけども、そういう感情はどうして、そういう感情がおこるんだろうとかまぁ、それを達成しようという意志とか意欲とかも、どこからくるんだろうとかまぁ、研鑽会に行こうとか、研鑽できる人に成ろうちゅうのも、まぁ、どんなところから、一人、ひとりわかんないけど・・・。。
ひとまず、この辺で。

小野:今日は何回か、話を途中で区切って、どうするの感想みたいに聞くの?質疑?
聞いてみてとか・・・。
杉江:意見とか、質問とか。
小野:聞いてみて、思ったこととか、杉江さんに聞いてみたいこととか、聞いていて自分の中にこんな意見が出てきたとか、ちょっと、少し交流しながら、今までのところで感想、意見、質問など・・・。
緊張しないで、思ったこと出してもらったら、、研鑽科学サロンですから・・・

牛丸:わかんないんだけ、一流の大学に行きたい、どうしても入りたい。ていうのを、欲求、自分の欲求じゃないの?
杉江:その人の中でどうなっているのか、だよねぇ。
牛丸:と、どうなっているか?その人の頭の中で・・。その人の中でどうなっているか。ほんとうにその人が、そうしたいと思っているかどうかは、その人の頭の中を見ないとわからない。そうよね。
杉江:そうしたいと思っているのは、そうしたいと思っているよね。別に嘘を言っているわけじゃないよね。そうしたいという思いは、どこから来ているのかなぁとか。
稲垣:なぜ、そうしたいと思うか。ちゅうの?・・
小野:さっきの話だったら、目標を立てて、なんだったけ、予定を立てて、予定を達成しなければ、というのがあると、予定を達成したいとなるけど、予定達成したいと意欲があるからって、それは、その人の意志か、どうかっていう・・。ということかな。と僕は・・・。大学に行きたいっても、どこから出ているのか。
杏子:自発とか自立とか、いろいろ実例出しながら、研鑽したりとかしてきても、自分の例とかでも、なんか、まぁ、自分の中から、こうしたいというか、気持ちが動くんだけど、その気持ちが動くあたりが、いったい、ほんとうに、自分のなんていう、まぁ、どこから出てきているっていうか、なんか考えがあって、観念?なんか良いってするものとか、そういうところから出てきているのか。なんかほんとに何なんだろう。自分の中の・・まぁ、純粋なものなのかどうか。というようなところは、ほんとうに、よく見よとしていかないと・・。ていうような感じは・・。ちょっと、今まで、やってみてでは、自発的と言っても、???感じで・・
小野:ご飯はすてちゃいけない。
杏子:あの弁当活かしたいとか、無駄にしたくないとか、いうのも、まったく、中に無いとは思わないんだけども、なんか、見て、やっぱり、無駄にしたくないと出るあたりが、どういうところから、自分のその・・・・売れ残りの弁当。おふくろさん弁当、いくつか来たときにね、ぱっと、まぁ、いくつか見て、あぁ、それを、なんとか活かしっていうふうに、まぁ、こう、とらえるのは、そうとらえるんだけどもね、そういうのが、まぁ、見たら、ぱっと動くわけなんだけど、見なかったら、そんなの出ないんだね。
玄関に来て、こう気持が出るでしょ、出るところの、まぁ、もっと前が、なんかあるの、だから、まったく自分の中に無いとは、思わないんだけど、そういう活かしたいとか、無駄にしたくない、でもそれがほんとうに、どこからなのか、っていう。ところを、まぁ、自発とかいうのでも、まぁ、よくよく見てみないと、どうなっているんのかな。
パット見た瞬間の反応って、気持ちが動くというんだけど、その動くのもな、その前が、なんかありそう。結構、なんか、やっぱり、良いとかね、ご飯捨てるのはダメですとかね。そういうものから、たぶん、来ているんではないかと思うし、まぁ、そうでなくても、純粋に活かしたいとの思いもあるんだろうけども、なんか、そのへんが、よく見て、見る。その辺がこれからかな、なんか自分の中に、あまり、こう意識に登ってきてないけども、なんかこうある感じするねぇ。その観念というか。
牛::それがいいとか、悪いとかいうわけじゃなくて、どういうところからそういう欲求が出てるのかを、話をしているのかね。
船田:自分もねぇ、送迎毎日やらしてもらっているんだけど、先日泉田さんから、携帯に電話があって『フジで会議中なんで、5時に終わりそうもない』っていう感じで、代わってほしい、いつもと違う別の車で、いつもより多い人数送って欲しいという依頼を受けたんだ、いつもならいいよと、うけるんだけど、たまたま、その時に予定があって、さきほど、まさに、杉江さんが話してくれた中に、自分のやったこととえらい似てるなぁ・・。・・で、泉田さんに『いや、おれ、予定があって・・・無理だな。駄目だ』受けるときは受けるんだけど、だめな時は、なんか、相撲じゃないんだけど、押し切らんといかん。そういう二者択一しかないっていう。そんなことあって????両方ともちょっと喜びがる。ってかね、受けた喜びがあって、つきはねたら、なんかそういう、欲求の達成したいという、人が聞いたら馬鹿みたいだけど、本人はあそこまで歩いていくっていうのが、やるか?。冷静に考えれば、あんなもん、まぁ、30分もかからない。だろう、計算ちゃんとわかるんだよね。6時に終わって・・7時半からの予定に充分間に合うわけで、ところが、お風呂入って食事したいし、・・・ていうので、実際断ったんだけども、・・・まぁ、そんなことがあって、・・。
いろんな要素があるんだろうけども、自分がそう言った。AかBか二者択一ぐらいしか、自分には光が当たらなかった。まぁ要求とか、そういう感情、意志、嗜好、?????そういういろんなことが、関わるなぁ~。わかったわけじゃないけどさ・・。
泉田:自分が、こう、ずっと受けてきたもんで、形成されている。そういう観念で、すごく大きい。行動とかいろんなことが左右されている。ということと、その・・・。どういう感じなのかなぁ~と思って。そういうかなり影響が大きい。かなり大きい予想とわかるんだけども、その、そうじゃない部分というのがあるのかという感じがする。????
純粋のジュウネン・・そういう感じがするんだけど、そういうものに、左右されない影響されてない部分。???自分の中から

杉江:影響されていないのが良いとか、影響されているのが間違っているとかいうことじゃないと思うんだよね。影響ってか、ほとんどそうだと、思う。その人なりの観念とか、感覚とかあるから、そこを通って、というか、それの影響受けて、いろんな欲求とか、観念とか、意志が出てくると思うね。出てきたものに対して、どんなところから、そういう欲求がでているのかなっていう、なんか、ストレートに、そう聞いたから、そう思ったっとか、言って。なになにがあったって言ったら、まぁ、うれしいと思った。とか、言うけども、そこには、その人なりの、こう、観念とか感覚あるわけで。
だからみんなで申し合わせて、さっき言ったような、ルールとか作ると、極端なこと言ったら、ことさらそれを守ることを一生懸命するっていう人もいるわけじゃん。とにかく、???それを守ろう。っていう。そんな、なんでそんなに頑なに守ろうとするのか、その都度、その都度、考えてやってもいいのになぁちゅう考えもあるよね。その人その人、ルールがあるから守ろうとする、っていう、そんな、直結したもんでなくて、そこにその人なりの考え方で。
泉田:たとえば、大学入りたいとかいってもさぁ、よくよく考えてみたら、親を喜ばしたいからとか、みたいなこともある。あったりするでしょ、そういうのと、どこから、そう思っているのか。
杏子:予定を立てるとやりたい欲求がでるのって面白いなぁと思って。まぁ、あれだよね、料理でも、今日だったら、これ作ろうとか、いろいろ考えて、何時までにとか、やるんだけど。やりたくなる。確かにやりたくなるんだけど、それがどこから来ているのかとか、でも確かに、予定たててやりたくなる。。どこから来ているのか。
小野:やりきったらぁ、やったぁ、
杏子:やっぱり、もう、なんか、向ってこう行くみたいな。
小野:達成感
杏子:達成感というより何なのかね。
本山:今、あの、向こうの、アズワンの二階に研鑽会場作ってて、まぁ、やろうっていう話になって、いつ頃できるのかなぁ、っていう。来月のライフミーテングに間に合うように・・。それが目標。自分が勝手に、そう、思っていうよりは、もう、そういうみんなの目的。
泉田:そうなっている。
本山:そうなっているみたいな、ただ自分が思っているだけ、じゃ、ないみたいな
ところまで、行ってしまいそうだ。
杉江:そうなっているは、そうなっていることで、みんなで相談して、その日にしよう。というのは、あって、それを、本山さんはやろうとするわけだよね。。
泉田:やろうとするへんがどういう風に思っているのか。
牛丸:なんか、良い、悪いみたいに、純粋なのがいいとか。どういうところで、そういう風に、自分は、今思ってるんかな。っていう。頭の中。
小野:やりたいとなっているから自分の意思だとか、いう風に、決めないでだよね。
どこから出ているのかっていう。
牛丸:親から言われたわけども、先生から言われたわけでもないけど、僕は、この大学に本当に行きたいんだ。と、まぁ純粋に欲求したとしても、その、なんでそうおもうのか?っていうのは、その、何かがある、その何かが・・・、何かっていうのを調べる。というか、知る。
栗屋:それを、なに?・・・知るとどうなるの?。
杉江:どうなるんかなぁ。
栗屋:だから、大学に行くってんで、親を喜ばせるためにいく。ってんで、行っても、それ、自分の中にあったとしても、でそうだなぁと、あぁ、そうだなぁ。というのがあって、それでも、まだら、自分の意志でそうしようとしているんじゃないのか。
井川:そこを調べましょう。っていう話でも、なくて・・。
栗屋:あぁん。
井川:どういう欲求とか、感情、どういうふうに出てくるか、成り立ち。そこらへんを科学するみたいな。。
牛丸:科学するって。
井川:いや、調べる。みたいな。
牛丸:調べましょう。!?。
ハ、ハ、ハ、ハ(笑)
井川:自分が、どういうところから出てくるんかなぁ~。なんていうの、なりたちみたいな話かなぁ~。。
牛丸:どうなっているのかなぁ、知りたいと思う。最近、近鉄に乗って。ブラインドの下りている一番先頭の座席に座ったんだよ。いい気持で寝ていたら、なんか車内放送で、一番車両の前列は、優先席になっておりますので、携帯の電源をお切りください。というのを、聞いた時、あれ、一番前の席だなぁ、と思って、みたら、ブラインドの向こうに優先席のシールが張ってあって、急に、こう、居づらくなって、優先席に座ってるなんて・・。お年寄りの、まぁ、シルバー。で、なんで、いや、そういう風に思うのかなぁ~。すごく、思った。自分のなんか、やっぱぁ、そのあるんだよね、譲らなけりゃいけないとか、携帯の電源切らなあかんとかさ、まあ、座ったのがいいとか、悪いとかでなくて、これは、どうしてそういう風に思うんだろうっていうに。・・そういうこと、それはなんか、興味あるなぁ。

亜子:いろんなものを受けて出てくる感情もあるだろうけども、それとは、また別に、人間が、こう、もともと持っているそういうのも、なんか、あるのかなぁ~。とか、思っているんだけど。????
予定どうりにいったらうれしくなる。っていう、そういう気持ちがでてくる、っていうのは、その人のいろんな体験とか、いろんなものの影響受けて出てくるんだろうけど。
こないだ、引っ越しして、部屋の家具のレイアウトをこう、いろいろ考えて、三っぐらいの家具が、こうすきまなく、ピタット収まったら、すごく、スッキリしたぁ、気持ちいなぁ~。っていう感じが出てきて、そういうのって、なんか、こう、この部屋を広く使いたい、とか、そういう欲求からでてくるのも、あるかもしれないけど、何か、こう何か人間の持って生まれたバランス感覚とか、なんんか、こう、隙間を埋めたいとか、そういうのどうなんかな。(笑)
小野:人間そのものかどうか・・亜子さん独特だったりして。
泉田:隙間を埋めたいなんておもわないもの。
杏子:これすきま、畳が・・・。
?:隙間でないと思うまで、だいぶかかった。
泉田:隙間は、隙間でないか。
?:おれの感覚に、中にこういうのない。

小野:そろそろいきますか、第二ラウンド
( ?????  )
杉江:自分の中から出てくる感情とか、意志っていうの、で、日常行動していると、言ってもいいぐらい、まぁ、かなりの部分を占めている。と思うし、っていうことは、やっぱぁ、欲求がでてきて、その欲求で意志が出てきて、行動したりとか、で、その欲求が満たされたらうれしいとか、欲求が満たされないと、もう一つだったりとか、その感情とか、いろいろ影響するよね。だいたいそれが生きていく舵というか、なんか、こう、みたいにして、欲求、意志、感情、欲求、意志、感情、でこう毎日動いていくわけやろ。人によっては、いい大学入って、いい会社入って、こんどは、マイホーム持つぞとか、いろいろ自分の中から出てくる欲求に応じて、こう、どんどん行くんだけどもさぁ。その欲求がねぇ・・。
どこから出てくるのだろうっていうことを、やらないと、ひとそれぞれ、いろんな出方するよね、欲求、そりゃ大学入りたいぐらいだったらいいけどさぁ、中にはあの人が邪魔だから、無くしたいとか、二度と口ききたくないとか、いろんな欲求も出てくる。その欲求に応じて行動とったりするわけじゃんかね。その欲求が満たされてらうれしいとか、欲求だから満たされる方向へ、満たされる方向へいくとかさぁ。その人の欲求だから、いいじゃん。ていうふうに、満たされてよかったねえでは、あんまり進まない。ちゅうような、いろいろずっと発展してくると思うんだけど。
(一息)
じゃもうちょっと、あのう、動物の例で、調教するってある。前回サーカスがどうのこうのって言ったけど、動物を人間が調教して、人間の指示どうりに動くっていうようなこともあるんだけども、あるんだけどもちゅうか、調教された動物が人間の指示でうごくっていうのさぁ。あれは、あの、その動物の意志で動いていると言えるのかなぁ~?とか。
サーカスでねえ、いろんな芸したりするやんねえ、あれは、その動物の意思なんだろうか?とか、おそらく、どう思ってやっているかわからないけど、動物は、みんなを楽しませたいとやっている。(笑)で、まぁサーカスだけじゃない。例えば、盲導犬とかさぁ、警察犬とか、介助犬ちゅうか、最近、あれは調教して、で、まぁ、人間の指示とか、指示だけじゃない、なんか、動くよねえ。あれは、あの、犬の意志で動いているんだろうか?どうか?ちゅうこと、思うんだねえ。犬が、なんとかして、犯人を捕まえようと思って・・・。どういう、犬の頭の中は、わかんないんだけども、・・・・。それでさあ、人間の指示で、指示どうりっていうか、こう、動く動物、まぁ、犬でもいいんだけどさぁ、そういうのを見ると、あの、すごく、かしこいとおもったりするよね。
「待て」って言ったら、あ、そのとおりやったとか、かしこい犬だなぁとかさあ、飼い主が言ったとおりになんか、やったりするとさぁ、そのことを、すごく、ほほえましく思ってたりとか、ペットなんかだったら。「かしこい」ちゅうのは、どういうことさすかしらないけれども、その自分、その動物のね、まぁ僕はね、その動物の意志で動いてないような感じがして、その調教されて:ああしろ。って、:こうしろ。って、言われて、そのとおりパット動くとさあ、その人間に指示されて、そのとおり動くということはねえ、どういう状態なんだろうかなぁ。
どう表現したら、わからないけど、その、かしこいとか、微笑ましいという状態なのか、どうか?で、人間の方にいくけどさぁ、まず、子供。子供を、親がああしなさい、こうしなさい。と言って、「ハイ」とか言って、そのとおりやったりするとさぁ、見方によっては、さぁ、「えらいねえ」とか、「かしこい子だねえ」とか、いうような見方があるかなぁと、思って。
さっきからの話の続きでは、まぁ行動はその人の脳が働いて行動を起こさせているんだけども、さっきの欲求とか、感情とか、意志、ちゅう・・なってくるんだけども、まぁ、その人の脳が働いて、その欲求とか、行動、意志、行動起こさせているんだけども・・・。
まぁ動物の例で人間の指示で、指示されて機敏に、そのとおり正確に動くとか、いうのもねぇ、その動物の意志かどうか、その動物が、その動物の意志で動くとか、その動物の意志で暮らすとか、・・・。野生の動物とはずいぶん、ちがうよね。行動とかんね、生き方とか、生き方というか、暮らし方がねぇ。
そうなってくると、その子供なんかでも、子供が、その子供の意志で動くとか、子供の意志で、考えて行動するとか、そういうのはどういうことなのかなぁとか・・。
動物の場合は、よく、飴と鞭というけども、ペットの飼い方でもよく言うよね。
ほめなさい、とか、ほめることをとっても勧めるね。ほめなさいとか言って、褒めることは大事みたいな。飴と、鞭でこう、人間の指示どうりに動くように調教するわけだよね。まぁ、飴とムチだけでなくて、もっと、今は、巧みな方法があるのかもしれないけど・・。
そういう、なにか、動物の中に、習性というか、観念が形成されていって、指示があったら、こういう指示があったら、こう動くとか、いうような、なっているんだろうな、と思うんだけども、動物でも人間でも、まぁ、そのものそのもの、それぞれに脳があって、脳の働きで、それぞれ、自立して自発的に、こういうのをしていける存在としてあると思うんだけども、それが・・・。
そのものの意志で動いているかどうか・・・・?
そのものの意志で動いていくって、言うのはどういうことか・・・?
今、まぁ飴と鞭ということになってくると、まぁ人間の場合だったら、なんだあ、お金と罰則。
これをやったらお金もらえる、これをやったら罰せられる、というようなも、ことけっこう大きいよね。そういうことが、あの、王道の、ちょっと、基準というか規範というか、そいうもので、なんか、お金が得られるようなこと、やろうとか、罰せられないようなことしようとか、まぁまだ、そういうものがあって、そういうもので動く。罰するぞって、脅されたら止める。お金やるぞって言われたら、やる。
まぁ、そこまで極端じゃないかもしれないけど、いろんな日常の生活、行動やってることが、自分の意志と言えるかどうか、ということかねえ。動物の場合は、なんとなく、そういう感じするよね。自分、そんなあ、サーカスの動物だって、中には、やりたくてやっているやつもいるかもしれんが(笑い)どういう、まぁ、やりたい言っても、そのやりたいが、どこから出て来るのか、あめ、もらいたい。ちゅうのでなあ、やりたいが起きるのか、人間だって、なぁ、お金をもらいたいちゅうのが、ぜひ、この仕事やりたいです。とか言って。案外・・・。
まぁ、ちょっと、こんなテーマはどうでしょうか。

小野:じゃ、今まで、聞いて思ったこと、質問とか出しましょうか。
井川:毎日トラックの運転を、自分の意志でやっているかどうか?そなへんがやっぱぁ、なんか、いったいなぁ仕事したこととお金とはあまりくっついてはいないけどね  仕事したからお金もらっているという意識はないけど、自分で朝起きていこうと思って行ってるという意識はあるけど、自分の意思とはなにか、自分の意志でやっているのかどうか
石川:動物が角砂糖もらって芸したり、やったらもらえる、食べたらおいしいかどうかわからないけど、そういうのはやっぱりそういうのがなかったらやらないかなあ、自分がやっていることでも人からの働きかけがあってやっていることがあると思う、だけどそれで自分の意志でやっているみたいに思っているけど、そのこともなんか受けてそれでやろうとしてやっている感じはするんだけど、それを本当に意志でやっているのかと思うとよく分からない、角砂糖と変わらない感じ、よくわからないんだけど、どんなかんじかなぁ~。と思ったりしました。
栗屋:調教されてきているとなかなかわかりにくい(笑い)。はいで、そのとおりやります。とか自分の意志なしで、生きていこうみたいな感じで練習して、調教されてるような気になって 生きてきたかあたいして変わらなかったかなぁ。みたいな。
吉田:人間でも前杉江さんが出していた動物というところで見たら、仕事とかいうのは動物とあまり変わらないかなあという感じしていて、自分の意志っていうの、考えてきたら生理的な欲求とかトイレ行きたいとか、これもなんか、よくよく見てみないと。ここに出したいけど、みなに恥ずかしいからとかそういう風に働いているなあと、よくよく見てみないとと、まぁ、いまんところ、そんなところか。 
市川:お金のために、なんか、動かされちゃっているというのは、ないけど評価みたいな感じで、ちゃんとやってるね、しっかりやれてるね、まともにやれてるぇとか、我慢して、がんばって、人の目みたいな感じかね。
亜子:この地球上に人間という形のものとして存在してきて、その人の生きようという意志でそういう風になってるのかなあ。意志って、どんなことなのかなぁ~。
典子:昨日あの、右折しようと思って、車の運転していたんだけど、あの、対向車がズーツト結構つながってて、トラックがちょっと間、空いていて、ピカピカって、こう点灯したんだけど、なんか、それを、行っていいよ。譲ってくれたみたいにとって、自分曲がろうとして、曲がったった。てかな、自分がやろうとしてやったみたいなのが、あるけど、自分は、曲がっていいんだみたいな、なんか、そういう前提っていうんか、そういうのがあって曲がろうとした。意志っていうか、自分の意志っていうのがどんなもんなんかなぁっていうか、やろうとする。とか、なんかあ、普通のこうなっているからこうするみたいな、なんか、そういう感じで動いている。っていうか、なんか、そういうことが、多いなぁっていうのか。
照子:毎日ご飯をつくるんだけど、自分になにがあって作ろうとしているのか、考えてみると、習慣とか作るもんだとか、評価とかいうのもあるかもしれないし。自分一人だったらつくらないかも、なにが基になって、行動をしようとしているのかなぁ。
恩田:毎日あれ餌をいれるんじゃ、餌を入れて顔見てよし!と言って食べるじゃん、毎日やっているんだけど、犬に意志があるかどうか、犬に意志があると思っていたけどな、自分の中にどういう意志があってやってたんかな、別にそんなことせんでも、ボールに餌やって好きなように食べる、、、なんだろうなあ、自分の中の意志、、毎日やっているもんね、 顔見て「よし」と言ったら食べる。
泉田 :えっ、毎日やってるの。
恩田:顔見るじゃん、ボールに決まった餌入れて、顔見て「よし!」と言うと食べ始める。
杉江:よし。といわなかったら食べないの。
恩田:どうだろうね、一回別の部屋に行って食べたんだ、目を見るのが好きだ。かわいい感じ。
小野:介護犬ってすごいストレスなんだって?
杉江:前テレビで見た、介護犬、盲導犬、警察犬とか、訓練するんだよね、餌をおいて、待てと言って、ず~っと何時間でも待つような訓練するわけね、電車きてもぴたっと離れないとか、あんなんうろうろされたらかなわん、犬にとってはものすごいストレスだということを言ったけどね。
八重子 :短命だと言ってたねえ、麻薬犬とかは。
杉江:麻薬捜査犬。?(笑い)
動物の例、子供の例、大人の例、指示されてそのとおり動くと、いいことのように見えるやん。そういうのはずっと培われている、いい子だね。
小野:いいこだ、ききわけがいいとか。
杉江 :聞き分けがいい、行儀がいいとか。
牛丸:そうやって育ってきた(笑い)素直ないい子、さすが先生の子・・。
八木:どういう場面で言われたかとか。
杏子:お箸の持ち方とかあれ。
牛丸 :おふくろにたたかれて覚えた。
小野 :ああそう。
牛:よく外に放り出された。
泉田:もちかたで?
牛丸:夜遅く、何時までに帰ってきなさいって言われて帰ってこないとか 鍵かかっていたとか。
泉田:それでひねくれたんじゃないの (笑い)。
牛:親が悪いんだ。 (笑い)
市川:親は影響すごいよね、おれはよう褒められたわ。
杉江:基準になっていくよね。これが褒められる、これが叱られるみたいな。
牛:こどもにも言いたくなる、こういうようにしなさいと、はしのことは言わなかった。箸のことはしたの子が持ち方おかしい、その持ち方だと豆つまめない、おれの方が早いんだ、むこうの方がはやかった、だいだい引き継がれて。
亜子:ほめられたらやろうとするのはなんでだろう。
昌子:こどもにもかなりアメとむちというのは影響するよね、むちというのはわかる、痛いとか叱られるというのは不快だからやらないでおこうというのはわかるけど、ほめられると評価されると心地いいというのはなんでそういう作用になっているんだろう、それが目的ではない、野菜作るのでもほめられるとがぜんやる気になる、影響してるよ、作用が、、 。  
市川:なんかそんな感じ、ほめられると感情が出る。 
杏子:ほめられると受け取るんだね。これがおいしいね、、てね。
市川:そこが 人間でない。褒められるようなことがやれることが人間らしく、それがやれないと人間でないとそんな受け取りすごく、、。
栗屋:ほめられるんとうけとるんだろうからね、むこうは、自分が食べておいいしいと、褒められたみたいに言っている。
亜子:さっきのいい子だねってほめられる、いいっていうのがある、それってなんでだろう。
市川:よくやってるね、合格したみたい、人として。
昌子 :人から認められるのは生きがいにできる。 
小野:その子の意志でやっているかよりも、言われたことを、言われたことをやるのがよいという観方、評価する、飴みたいな感じなのかな、いい子だねなんてわざわざ言うのは そういうのが親の価値観がやっぱしこう、調教だったら、思ったことやったら何かあげるんだよね。それと違ったらぱしっとやって、こうやったらこれがもらえるんだ、これやったらたたかれるんだと、あたかも自分の意志でやっているかのようになってくるんだね 。
杉江 :会社の仕事でも ノルマとか目標とか責任とか負わされると最初は自分の中からでない、外からのノルマや責任だけどもそれが自分に課せられたものだとなってくると、自分でそれやろうとするもんね、それを達成しようとかそれ以上のもの達成したりとか、評価があがるからもっとこうしたいとか、あまり外からのものというのじゃなくて、まるでさっきの予定じゃないけど自分の意志とか欲求みたいに、それで達成できたら充実感があったり、結構みたされて、最初は外からのもののようだけど、いつのまにか自分のものみたいになって、自分の意志みたいに欲求みたいになっていくのかな。
杏子:期待にこたえたいみたいの、それで満足感が得られるみたいの 親を喜ばせたいとか。
泉田:最初はのそとからのものがその人の中からのものに変わると。
杉江:そういうこともある。
井川:最初は外からのものでも自分でしようと思ってとか、思い始める。 
泉田 :最初はそんなこと自分が思ってなくて誰かに言われたとか、そういうこともあるでしょ、こうしたらとか、ああいうのは話し合っていくうちに自分もああそうだなって思って自分もしようと。
市川:自分は評価を気にするな、ほんもんじゃないけどね、達成しなくちゃみたいに動いちゃう、きつい感じ、はまっちゃっている。
泉田:評価がついてるってこと?。
市川:みとめられるようにがんばらなくちゃとか、その心理は全然快適でない、なんとかせなあかん 、そのラインまで生産あげないかん、ねばならない、あの、工場でフィリピンの人が新しく入ってきたとき、いろいろ重いもの持つし女の人だし、いろいろ手取り足取りやってたんよ、おれは、ロスタイムが多い、生産していなくてしゃべってばかり、なにもやらないと、やめさせてくれと、俺をな、仕事しないやつだからと、おれとしてはよその国からきて、やり方もわからない言葉もわからないし、行きたくなる、だんだんだんだん赤いラインが拡大する。もう一切人の世話しない、来るなくるな、そのライン合格に、早いねと俺が一番に、ただはねつけただけなんだけど、つきあわないようにして、手伝わないようにして、おれがいちばん最初に、なんだろうね、その過程ぜんぜん本望じゃない。 
 
小野:第三ラウンド行きますか
杉江:
今の動物の調教の話しなんかだと、目的っていうか調教するっていうのは、人間の指示道理に動物が動くようにということが一番重要なのかと思ったけど、それにしてもどうぶつが動くっていうのは、動物の脳が働いて行動を起こすわけだから、動物が行動するように仕向ける、だから調教するというわけなのかな、ロボットだったらリモートコントロールで動くのだけど、動物の場合はそれぞれに脳があって脳の働きで動くから、その脳の働きが、人間の指示したことに沿って動物が身体を動かすように、そういう意味で調教っていうのかなあって思ったけど、最初言ってたような欲求とか感情とか意志とか考え、思考とかもそうだと思うんだけど、そいうものって脳の中のものって直接他から制御できるものではないんじゃないか、制御っていうか、欲求とか感情とか意志とか、他から動かせるものなのかどうか、頭の中のことを自分以外の他の者が動かすということがあるのかどうか。
頭が動いていろんな行動に表れる、さっき喜ばせるとか出ていたけど、喜ばせるというのはどういうことを、そういうことがあるのかどうか、喜ぶというのはその人の感情だよね、 その人の感情を他から喜ばせるというのは、どういうことを言ってるのかとかね。
考えさせるとか言わせるとか、服従しろとかそういうのも言わせるとか言うじゃんね、言うのはその人だよね、この頭が口を動かして音声を発しなきゃ言うにならないんだけどね、言わせる、思わせる、喜ばせる、悲しませる、そういうことが、そういう表現使ったりするんだけど、それはどういうことを言ってるのか、人間をどうとらえてるかということも出てくると思うけどね、だんだんそうなってくると、それで続いての課題はよくいう、やらせるとかやめさせるという表現もあるんだけど、やらせるとか止めさせるとかいうのはできるのかとか、普段そういうことをやってるとかやらされたとかいうことが実際あるとしたら、どういうことがいえるのか、やるやらないはその人だもんね、その人の行動っていうのはその人の脳が動いて行動するわけだよね、やらせる、やめされる、その人が止めるようにする、その人がやるようにする。
たとえばさっきロボットって言ったけど、リモートコントロールでロボット動かしてロボットがなんか動くやん、そうした時に ロボットにやらせたとなるのか、ロボットの手を動かしてだれか殴ったとするよね、そしたら私はロボットに殴らせた、そういう言い方もするかな。
杏子:言い方はするんじゃないかな、直接やってるわけじゃない。
井川:ロボットに殴らせたとは言わない、操作した。
杉江:ロボットを動かしたというね。もっというと操り人形ってあるよね、操り人形で手とか足とか、操り人形の手で殴ったとそういうときは操り人形に殴らせた  (笑い) 
牛丸:言わないな。
井川:自分が殴ったみたいになる感じ、道具をつかったような感じ。
杉江:操り人形が殴ってないか。 
八木:操り人形の意志で殴ったとはならないな。
牛丸:ロボットも 意志がないとみてるからそういう風に言わない。 
稲垣:意志のあるやつにはそうさせたとか言うのかな。
牛丸:意志のあるものに関してはそうさした、犬に殴らせた。
杉江:犬にもってこさせたとか言うね。
小野:芸させたとか。
杉江:ロボットに持ってこさせたというのと、犬に持ってこさせたというのと違う?ロボットをリモートコントロールでギーギーとか、ロボットに持ってこさせたとは言わなくて、犬にもってこいと言って犬が持ってきたら、犬に持ってこさせたというのとそれはどこがどう違う?
その例わかりやすいな、ロボットと犬、、、 
朱実:ロボットに戦わせるとかそういう感じで言わない?
牛丸:戦わせるけど犬は自分の言うことをきいたと、、ロボットはそうじゃない、ロボットは機械的に、、こっちの意志が、、だからさせたというより自分がしたという感じ、ロボットにやりたいことをやらせていると、、させたという感じじゃない。
杏子:ゲームとか。 
牛丸:戦わせたという感じじゃないよね。
市川:最近戦わせるというような犬みたいな動きするロボット氾濫しているからね。(笑い)
その場でどう どう行動するかは半分意志があるみたいな感じ、自分が操縦しているのでないみたいな。
小野:なるほどね、そのものに意志があるかのような。
牛丸:ホンダのロボットなんか接待するもんな、最近な、そうなるとロボットにも意志がある。 
市川:かのようなものも最近出始めているから、そうなると戦うって言いたくなったりする。 
朱実:あくまでもロボットは機械的な、意志と言っても、みたてようとしても、どこまでいっても機械で、ある程度の判断ができるようにしくんであるよね。
杉江:犬の例で意志という言葉使ったけど、さっきの調教された動物やないけど、そのとおりもってこいと言って持ってこさせたというの、その犬の意志かどうかっていうのある。
八重子:調教させた状態っていうのが意志かどうかということ?
稲垣:意志というのはそのことがやりたくてやるみたいのが意志というの?たとえば俺がコップとりたいっていうのが俺の意志と、そういう感じになるの?
八重子:そういう状態になっているのが、犬はそうやってやるんだけど、調教されたという状態で自分で物もってくるのとは違う。
杉江:犬じゃなくても人間でも持って来いって言われて、はい分かりましたって持ってくるわけやね、で言った方も 相手に持ってこさせたという場合ある。自然、野生の動物だったら調教してない野生の動物だったら、やらせたりやめさせたりできないよね、蚊とか蠅でも。(笑い)
小野:牛丸の血吸ってこい(笑い)。
杉江:やらせたりやめさせたり、固体で存在していてそのものの脳の働きで動いているものを、やらせたりやめさせたりできるっていうのはどういうことなのかっていうのあるよね。蝿とか蚊はやらせたりやめさせたりできないけども、人間は簡単にやらせたりできる。(笑い)
人間はかしこいからかなんなのか。
指示どおり動く動物をかしこいとかいうのは、観方によっては僕のあれだけど、あわれっちゅう感じするよね、 野生の動物みたいにのびのびと、自分の意志ででなくて、指示されたことにしたがって動くみたいな、なんでそういことができるようになっちゃうんだろうか。やらせたりやめさせたりできるとしたら、もうちょっと言ったらだましたりだまされたりとかね、裏切ったり、裏切られたりとかね、動物はそういうこと思わないだろうけどね、だまされたとか裏切られたとか思わない。(笑い)
牛丸:復讐してやる。(笑い)
杉江:人間の意志、自由意志、自発的自由意志っていうよね、自由欲求とか、そこにいくまで、自由意志とか自由欲求とか、そこから出発したいなぁと思うんだけど、今の欲求とか今ある意志がどうなっているんだろうとか、そこを解明しながらっていうのが大事かなぁって思って、自分の意思欲求大事にしていても、自由意志でも自由欲求でもないそういう意志や欲求をことさら大事にしているとなりかねないかなと思って、、、
人間には意志がある、意志とはどういうものか、一人一人に意志があって、一人一人の意志で行動する、そういうことで営まれる社会、それに向けてこれからは引き続きしらべていきたいと思います。
今日はこの辺です

小野:今の聞いて第3ラウンドとか全体聞いてみて、出し合いましょうか。
 感想その他質問も含めて、どうですか?
井川:自分の意思 自覚、調べてみたい。
栗屋:自分の感覚の自覚と自分の意志の自覚と大分ちがうかな。 
牛丸 欲求というと自然にわいてくる、そういうイメージでどうしてもとらえてしまう、確かに自分の持ってる観念から出る、意志なのかどうか。飴と鞭の世界もとになってる、いろいろ面白そうじゃん。野生動物ってわかりやすい、ロボットとか、本当そうだよね。
井川: 、、、
市川: 働いている、そのためにがんばって働く、そっくりやなあ、やりたくない仕事がんばってやる、角砂糖のクマみたい。
吉田:ぼく介助犬って聞いてすごくストレスがあるって聞いて、(笑い)介助人として、具体的に言うと、吉田さん行ってくれる?僕しかいないみたいな、ストレスの始まりみたいな、やるっきゃないというか、思ったのはタクシーに任せていけないのかなと思ったけど、そんなことは言っちゃいけないみたいな、介助人として、否定するには根拠がうすい、自分の中がどうなっているか、飴と鞭のこととか考える。
八重子:調教の話しと飴と鞭、最初はひとごとに聞いてたんだけど、自分の中にもやる気まんまんでやろとしたときに、出番が少なくてがっかりしたことがあって、評価とか微妙にちらつきながらやってるということがあって、ひとごとというところから自分の状態 、もっとやりたいとかやるっていうところを見ていきたい。
泉田:させることなんてことなんてできるわけないと思うけど、日常的には、聞いたら答える。なんか言ったら返事してくれる、そういうのが当たり前、やっぱりそういう風にできるってなってる。
朱実:なんでできないって思うんですか
泉田:それぞれに意志があってそれぞれに脳があるんでしょ、それぞれの意志が働いて、いろいろかんがえたり行動したり、そういうことがそうだな、そういうのが普段は抜け落ちている。
牛丸:動物の考えていることってどうあれしても分からないって思うんだけど、表情で分かるとか昌子さんみたいにいうけど、そういう人は置いといて 、多分わかんないと思うんだけど、逆におれの場合だと人のことは分かるとなっている、 あの人の考えていることはわからないよねとか言っても、なんか分かる、小野さんの頭の中とか、それっておかしい、そんなことはありえない、人に対しても分かりようはないんだけども、人は動かせるとか何考えているかわかるとなってるな
泉田 動かせるのと分かるのと、分かるから動かせるのかな。
牛丸 うん、そんなようなとこあるんじゃない、あいつに頼んだらやってくれるだろうとか、分かってるんだろう自分の中で、古西に言うといたらやってくれるわ、 わからんじゃないんだろそう思ってる。
杉江  小さいこどもだったら 言葉をおぼえるにしたがってなってくるのか、本当にちいさいこどもだったらやらせることも止めさせることもできないやんね、 それがおおきくなってくるとやらせたり止めさせたりできるとなるのは、なんでかというと、頭の中にそういう回路ができてくるのかなあ、自然にできてくるのでなくて、それこそ調教みたいな、やめさせたりやらせたりできるような頭にどんどんしていってるのかなあと。
美代子:ロボットとか機械の操作なんかも、自分がこのスイッチ押したらこういう風に手が動くとか、だんだんと操作を覚えていくわけでしょ、頭のことそういう風にする能力がある、そういう風に何回も繰り返すことによって自分が思うように動かせるようになっていくと思うけど、自分が動かしたような感じになったりするけど、他の面でも頭の働き、他もそういう風な回路で動いたりするのかなあ、人に対してとか動物に対してとか 、欲求とか感情も出てきた後のことを調べるけど、もっと脳の動き、頭の問題なのか。
杉江:やらせるというのは、やらせる側の頭が知ってるとかそういうことを覚えているだけじゃなくて、相手の方にもそういう回路がないと成り立たない、だますだまされる、裏切る裏切られるでもそうだけど、お互いにそういう回路があるから、命令する命令されると、そういう観念ない人だったら:なに?。くらいでやらされるということはないよね、そういう同じ社会通念とか常識観念が植え込まれてきて、共通の回路もっているから、:やれっ。て言ったら:はい、分かりました。みたいに、そういうことが通じるわけだよね、蝿や蚊にやれっていっても通じない、、あかちゃんにやれって言っても通じないし、通じるようなそういう訓練したものに対して効き目があるわけだよね。 
泉田:こどもとかにもある程度成長してからだよね、小さい子だったら。
杉江:だまれって言ったらよけい泣いたりして(笑い)
小野:、、、、
照子:どの時点かでそういうものが植えられてそうなっていく。 
小野:成長したらじゃなくて植えつけるからだよね。
泉田: そういうの成長と呼んでるんか。 (笑い)
みゆき:共通のというのはそうだなって思う、言ったでしょとか、言ったのにやってないとか、共通のそれを作ろうとするみたいのあるなと思う。
杏子:そういうのなかったら、言ったでしょって聞いても、ああ聞いたというだけ。 
小野:言った、うん言ったよ、それで?とか。(笑い)言ったでしょって言ったらやらなければいけないという、「しまった、ごめんなさい」みたいな回路があるから、「言った」「ごめんなさい」みたいな、「言ったでしょ」で通じちゃうみたいな、「言ったけど気が変わったの」とか・・・。
照子:言葉では説明して植え込むわけではない、自然と言葉を理解する。
稲垣:言葉を理解するということとそのことをやる、やらせるとかどんな感じなのかな。
八木:怒るとか強く言うとか圧力かけて不快に感じるのがあるんじゃないかなあ、うちの犬でも出かけている間にゴミ箱ひっくり返して、そういうとき出てこない、呼んでもこない、言われるのはイヤみたいなある、圧力みたいなの感じてそういう回路が・・。
牛丸: 猫は逃げるからな、させようとすると。
亜子:人は言葉を覚えることが共通の観念が植えつけるきっかけになっているのかなあ、野生動物で群れでいてオオカミとかどんなふうにコミニケーションするのかなあ、人の場合はやらせるとかどんどんそっちの回路ができていく、言葉で 共通の理解が芽生えるのか。
杏子: 動物って力で衝突して殺したりするけども、ああいうのって人間の押しつけるというのとは別なのかな。

小野:他の人も一言感想とか、通して、今日の研鑽科学サロン通しての感想とかどうですか。
栗屋:杉江さんがどういうことしゃべったか忘れてしもうた。
公子:蚊や蝿に刺して来いとか言わないけど、そこら歩いてる人には言わないけど、日常暮らしている人が蠅や蚊のような感じじゃないな。
泉田:動かせるみたいな感じ。 
公子:大分研鑚してきてそういう理屈、そうなってるというのはあるけど、蚊や蝿のようではない。
白川: やらされるっていうのはせんならんという考えがないとならないと思う、そういうのどうやって身につけて来たんだろう。
小野:古西君はどうですか、感想など。
古西:欲求とか感情も観念があって出ている、、、、やってるとかあやしい。
典子:せなあかんことがあるっていうのは人間だけかな
杉江:人間にはないんだけどなぁ。(笑い)
小野:もともとはない。
杏子:赤ちゃんのときからある人っていないよね。
小野:空だからよそわなきゃぁとか。(笑い)
みゆき:そこから作り上げて強固にできていってるというのがすごいな。
小野:学校はかなり集団でそういう訓練しているな。
市川:だれだれ君、はあいとか、返事は!みたいな。  
昌子:時間を守れとか。
公子:約束を守れない人とかね。
朱実:そういうことも気がつかないとまた自然に調教していく。
小野:よかれと思ってするんじゃない。
白川:こっちがせんならんと思っているから、、  
亜子:調教されたサーカスの動物って、自然に戻れるんだろうか。(笑い)
白川:自分の仕組みがどうなっているか分かってきたら、なんかちょっとあほらしい感じ。
小野:極力調教の輪を広げない。(笑い)自然と出ちゃうものはしょうがないとしても。
野尻:ほかのもんでうごいている、自分の中のもんで動いているのでなくて、主体というけど、周りのもんで動かされている、なんともいえん。
佳子:しつけられたりすることって、いやだったり窮屈だったりしたと思うんだけど、だんだんそのことが社会に出たりで、叱られてやってきたものが、反対にほめられたりと変わってくると、世間に出たらこういうことはと、また子供に押しつけるみたいな感じのことをやろうとしているな、どこかでどうなんかなとでないと、永遠とこういうことを続けていく。
市川:怒りの回数なんかも固まりの数ってすごく影響するんじゃないかな、信じられんわみたいな。
朱実:根本的には欲求だったり意志だったりあるのが、本当に自由欲求・自由意志なのかという、さっき四郎さん言った、外のものと中のものと、だからやらされたという意識でなくて自分でやろうとしてやってることでも、本当に自発的自由意志といえるものなのかどうか。
小野:そうだね、すごい調教されたサーカスの動物が自由意志みたいにやってるけど、サーカスから解放されてずうとそうやってやってるかみたいな、そういう範囲内の中でやりたくてやっている類のものがいっぱいあるんじゃないか。
井川:やりたくてやっていると思っている。  
朱実:それがどういうもので形成されているかという。
野尻:調べるというか研鑚科学方式でフィードバックさせながらやっている、調べている、すごいそこへ向いての自分の考えていこうとする、やわらかそうな感じがする、そういうやわらかいきめがない印象受けました。
小野:そろそろ時間なんですけども、研鑚科学サロンも先月から2回目ということで、できたら毎月続けてやっていきたいと思います。次に向けて希望と要望とかなんかありますか。
特にないですか、あったらこんなテーマでやってほしいとか、こんな進めかたでとかあったらよせてもらったら、あと前回は昌子さんがテープ越ししてくれてHPにアップできたんですけど、また今回も録音とっているんでテープ越し協力してくれる人いたらあとで言いにきてもらえたら、こうして記録しておくと次にもいかせるなあと思っていて、ぜひ協力してもらえたらと思っています、あと研究所の会員の申し込みしていない人は今月中に、振込みかまたは研究所に届くように、届きにくい人はライフセンターの人に頼んで渡してください。じゃこれぐらいでおわりたいと思います。  
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