「あらわれたもの」と「そのもの」

1.言葉について
2.物象事象と そのもの
3.あらわれたものと その人


1.言葉について

言葉とは
・人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。
・感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。

あ・・・音声(文字)
い・・・音声(文字)
あい・・・音声(文字)+意味

米 花 お金 手足 心 海 空 というものがある訳ではない
鈴木さん 加藤さん という人がいる訳ではない
動く 落ちる 流れる という事がある訳ではない
働く 遊ぶ 寝る 食べる という行為がある訳ではない
嬉しい 楽しい 悲しい という感情がある訳ではない
仲良い 一体 自覚 研鑽 キメツケ 執われ
話し合い 持たない 本当 真実 という状態がある訳ではない
言葉は、なにかを抽象化した概念の表現
言葉は、そのものを伝えることはできない
言葉を聞いて、知っている言葉の意味として受け取っているとしたら、
受け取る内容は、知っている範囲を出ない
(言葉を聞いて、何を受け取っているか)
(言葉を使って、何を考えているか)



2.物象事象と そのもの
物象とは物の形ありさま
事象とは表面に現れた事柄

そのもの ⇒ 物象(水 氷 水蒸気 雪 雲 霧)
そのもの ⇒ 事象(地震 雷 火事 台風)
物象事象は、そのものではなく、そのものの(一時的な)状態

例えば、水や氷を自分はどう捉えているか
水や氷というものがあるとしていると、
水は液体だ、氷は固体だ、と云うだろう
果たして何のことを、水とか氷とか、云っているか
そうすると、液体の状態を水と呼び、固体の状態を氷と呼んでいる
じゃあ何が、液体になったり固体になったり気体になったりしているのか、その本体へと迫っていくことになる
石 砂 米 ご飯 部屋 車 パソコン ・・・・
火 光 生物・・・・生体と死体の違いは?
実際にあるとしている物事は、物象事象(一時的な状態)のことではないか
人間生活に有用な物象事象を実現しながら暮らしている
「そのもの」を知らないで、
「あらわれたもの」の恩恵を享受していることが殆どだろう
「あれはこういうもの」「ああしたからこうなった」等々、先ず自分が「あらわれたもの」を見て、そう捉えているという自覚。
そうすると、自分は「そのものを知らない」ということが分かる、自覚できる。

そのもの 本体 本質 とは何か
物象事象 と「そのもの」は無関係ではない
・・・どういう関係があるか
物象事象の原因や由来、理由付けができると、そのものを捉えたと思い易い
「そのもの」を知ろうとする研鑽 科学
「あらわれたもの」を調べて
「そのもの」を知ろうとする


3.あらわれたものと その人
その人 ⇒ 精神面
その人 ⇒ 言う行為
その人 ⇒ やる行為

言う行為も、やる行為も、その元の思考 感情 欲求 意志なども、内か外かの違いはあるが、いずれもその人(そのもの)ではなく、その人に生じた事象であり、その時々の状態とも云える

その人 ⇒ 感じる 思う 言う 行動する
その人 ⇒ 明るい やさしい まじめ 素直
その人 ⇒ 背が高い やせている 髪が長い

常にその人「そのもの」ではなく、事象を見たり聞いたり察したり、「あらわれたもの」に接している
言動や精神面の原因や由来を調べ、納得できるような説明や理由付けができると、その人を捉えたと思い易い
「あの人はこういう人」「あの人は○○だからこうした」等々、先ず自分がそう捉えているという自覚。
そうすると、自分は「その人を知らない」ということが分かる、自覚できる。

赤い服を着ている人を、赤い人とは云わないだろう。
悪いことをした人を、悪い人だと云えるだろうか。
面白い人、有能な人、立派な会社、すさんだ社会、などというものがあるのだろうか。

何にでも「そのもの」「本体」がある筈で、
「あらわれたもの」が「その人」ではなく、
「その人そのもの」を知ろうとして
「あらわれたもの」(一時的状態)をよく見る
自分の中にある知識・経験を重く見る人は、「あらわれたもの」を捉えて、自分の知識・経験で解釈しがち
自分の知識・経験の範囲を出ない

「あらわれたもの」に触れて、自分は知らない「その人」を知ろうとしているかどうか
「その人そのもの」に重点・関心がいくには
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