自分を知るための内観コース Ⅰ

・はじめに
 <自分を知るための内観コース>が設けられてから一年以上たつ。この内観コースで採用している内観法は、具体的には吉本伊信氏が考案し、それが受け継がれて現在全国各地の内観研修所等で実践されている内観法を、ほぼそのままの形で採用して実践している。内観コースが設けられたのも、各自の暮らしに内観法を活用したいとの趣旨であったと思う。その趣旨のもとに、この間多くの人が内観コースに参加した。そうした実践を通して、内観コース(内観法の体験)の位置・役割がより一層明確になってきつつあるように思う。ここでは各自の研鑚ライフ実現という観点から、内観法を体験する時のポイントになると思われるところを整理してみたい。

・内観法とは
 内観法は、出来るだけ集中しやすい環境の中で、父母など身近な人に対する自分を、幼少の頃から年代ごとに①(自分が)世話になったこと(してもらったこと)②(自分が)して返したこと(してあげたこと)③(自分が)迷惑かけたこと、という3つのテーマで、実際にどうだったのか、何があったのかと、具体的に検べていく。
 内観法を言葉で表現すると、それだけのことだ、とも言える。

・内観法の体験
 しかしそういう内観法を体験する時の各自の体験内容(意識内容)は、それこそ多種多様、ひとりひとり全く別個のものだ。それは別個の人が別個の人生を歩んできたわけだから、当然のこととも言える。でも、各自が内観法を体験する中で、自分の人生を振り返って、見えてきたり、感じたりするあたりのことを見てみると、そこに何か共通性というか共通の方向性のようなものが感じられる。自分の成り立ち(生い立ち)に対しての感じ方とか、自分の周囲にいた(いる)人達への見方とか、生きていく方向性とか、何か生き方のベースとなる部分が、培われていく。(自分の)人生の意義を窺い知る、(自分の)人生の真実を垣間見る、何かそういう面があるように思う。

・内観法の体験は<自分を検べる体験>
 でも、それはけっして、そういう方向に誘導されたり、観念付けられたりしてのことではなく、内観法で自分を具体的に検べる過程で、自分自身の中に見たり、感じたりするものだ。内観法は、<自分を検べるための方法>だ。だから内観法の体験は、<自分を検べる体験>だとも言える。ここではそういう体験を通して各自が気付いたり見直したりする内容というよりは、むしろ内観法で<自分を検べること>そのものに焦点を当ててみたい。検べていく時の具体的なポイントと思われることを出来るだけ鮮明にしてみたい。

 また内観法で自分を検べることの中にも、やはり研鑚に繋がる要素が含まれているのではないかと思う。そこがより明確になることで、内観コースの位置・役割も一層ハッキリしてくると思う。その辺も踏まえて考えを進めていきたい。
内観コースについて | - | -