心の健康メモ7

健康に健やかに暮らしていきたいと誰しも願うことだろう。幸福な人生像と重なってくる。でも願っているからそういう暮らしができるかといえば、実際はそうでもない。もっと深く焦点を当てて考えてみたい。

繰り返しになるが、健康の意味は体と心の状態が良いこと。国語辞書の意味もそうなっている。体については、毎年健康診断を受け、様々な検査によるデータを分析して異常の早期発見に努めている。食事内容にも気をつけ、ヘルスメーターに毎日のようにのって太りすぎ、痩せすぎをチェック。数値化されない体の微妙な変化にも関心が高く、ちょっと調子が悪いな、疲れ気味だな、熱っぽいななどと敏感に感じ取ろうとしている。異常に気づけば、すぐに原因を考えて気をつけるし、場合によっては入院し治療に専念したりもする。

一方、心の面についてはどうだろう。体の健康に気をつけるほどやっているだろうか。頭では心の健康の大切さは理解しているつもりだ。しかし毎日の生活の中で、体ほどの関心は持っていない実態に気づく。なぜだろう?やはり焦点が合っていないのだろうか?それとも具体的に何を気をつけたらよいか、方法がわからないからだろうか? (つづく)
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心の健康メモ6

心の状態に注目したいわけ

「心って大事だよなあ」と思っているが、なぜかと言われると漠然としている。ちょっと道徳的? 一方で人を科学した場合、「心を正常にしなければ何もやれない」という原理もありそうだ。

少し考えてみたい。人の行為は、目に見える部分と目には見えない心の部分から構成されている。例えば、道に迷ったおばあさんに声をかけられたAさんとBさん。ニコニコして道を教えてあげているように見える。心の中では、Aさん「ばあちゃん、大丈夫かな、気をつけて行きなよ」と思っている。Bさん「ちぇっ、急いでんのにめんどくせえ」と思っている。目に見える行動ではわからないが、AさんとBさんの行為はまったく違うものと言えるのではないだろうか。

人の健康も、体の健康だけでなく心の健康という面もあり、心の面が体の健康状態に大きな影響を与えているということも明らか。人は自分の感覚で捉えられる部分から判断する傾向にあるが、よく科学してみると、この世界には人間の感覚では捉えきれない構成部分があり、それぞれ分かれたものでない、一つのものなのではないだろうか。この原理は人についてだけでなく、すべてについて言えると思う。

心が人の行動を引き起こし、健康面にも大きな影響を与えている。だから心が正常で健康な状態にあることは、人間の幸福生活のベースになってくると思う。心の状態を見ないで人間の幸福は語れない。
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心の健康メモ5

現象面(物やお金、家族、仲間、仕事など)である程度の満足が得られると、本当とか真実という方向への欲求が薄らぐ? そういう傾向があるとしたらそれはなぜだろうか?

現象面から満足を得ている人も、もし自分の心の面に目を向けてみたらどうなるだろう?
人は自分の心の中に少しでも怒り、疑い、優劣感などがあることに気づいたら、満足、安心などしていられなくなるのではないだろうか。我が子に手を上げ、愛する人を疑い、親友に嫉妬する。何気ない日常の中に、そんな自分の実態があるとしたら、満足しているとは言えなくなる。むしろうすうす感づいてはいるが、怖くて、自分を見ない、気づかないふりをしているのかもしれない。心の中に怒り、疑い、優劣感などがある状態は、決して健康な状態とは言えないと思う。それが身近な周囲の人に確実に影響している実態に気づいたら....。

人が本当や真実の方向へ向かうというのは、人の心が健康な状態、つまり心の中に固定や決めつけ、とらわれがなくなること。人に対しても物に対しても、そのままが見えて、自分の考えで判定して裁くというのがない状態になること。怒りや疑い、優劣感の原因もここら辺にありそうだ。

心の満足、健康を妨げる原因を取り除く方法。本当、真実、幸福を目的にした場合、人の暮らしに焦点を当てたい。社会的な面からのアプローチと個々でやるアプローチの両面から。

検討会で、解放感がある、仲が良くなる、明るくなるなどの結果や成果もあるだろうが、そういう結果が得られるまでのプロセスに注目したい。
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心の健康メモ4

明るく見える  暗く見える
軽く見える   重く見える
良く見える   悪く見える
正しく見える  間違って見える

見え方によって、快適になったり不快になったり、安心に思ったり不安になったりの心の反応。好き、嫌いが行動の基準になりやすい。
同じものを見て、人によって明るく見えたり暗く見えたりするのは何故か?
この心の反応は何に反応しているのだろうか?

「良く見たり悪く見たりする物差しを外し、現状ありのままを見る」

心の状態は見え方に影響される。心が健康な状態になる見え方となるためにはどうしたらよいのだろうか?
段階的に考えてみると、
1.人によって明るく見えたり暗く見えたりする物差し・基準がその人の中にあることの自覚。
2.物差し・基準がなくなるというよりは、固定しない、決めつけにならない、気づいて外せる状態になるということだろうか。
3.物差し・基準を外して、事実をありのまま見ようとすること。
4.事実をありのまま見たときの心の反応を知る。心が健康な状態。

固定した物差し・基準を持って見ていることに対して、心が明るくなったり暗くなったりの反応をしている状態と、
物差し・基準を外して、そのままの事実を見ることで反応する心の状態とのちがい。
心が健康な状態とは、明るい-暗い、軽い-重い、良い-悪いというのと質の異なる心の反応。言葉での表現は難しいが、少なくとも不安というのがない状態と言えるだろうか。
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心の健康メモ3

心を健康に育てるための方法
 1.社会環境からのアプローチ
 2.個人からのアプローチ

法律や規則、宗教、道徳、常識....、縛り合い、押し付け合う社会環境の中で育つ心と縛らない、押し付けない社会環境の中で育つ心とは、明らかな違いが出ると思う。具体的には、例えば家庭、会社、組織などで縛らない、押し付けない仕組みをどう実現するか。日常の検討機会もそういう空間・気風を作り出しているのだろう。社会環境が人の心に与える影響はとても大きいと思う。調整機関運営、会社経営など社会実験の中での研究にも期待したい。

自分の心の状態は自分にしかわからないとすれば、最終的には一人一人が自分自身に向かい合い、自分の心に気づき、自分を知る、この世界の事実を知るというプロセスが必要になる。「自分は今こう思っっているな、で事実はどうなのかな?」とういうのも具体的方法の一つ。
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