「社会」について、あれこれ・・・

(人間)社会とは、どういうものかと考えてみると、人間が集り、その人間の価値観や社会観などで作り出される人間の集団の関連・関係のことを言うのだろう。
ということは、社会は人間の脳が作り出したものとも言えるかと思う。
といことは、社会のあり方を変えるのも、結局は一人一人の脳の変化の積み重ねだということも言えるのだろう。

人間社会というと、世界中のような範囲を指す場合もあるかもしれないが、日本社会というと日本という範囲での社会を指すだろうし、会社という社会もあるだろうし、二人の人が作り出す社会もあるだろう。
二人の社会といっても、それは周囲の社会の中に存在する二人の社会ということで、周りの影響ももちろん受けるだろう。
が、周囲の価値観と全く異なる価値観で、少数の人達が社会が営むことも出来得る。

社会は、そこにいる人が何を大事にするか、つまり価値観がどのようになるかによって、変わってくる。
つまり、そこの人達の人間観、社会観、仕事観・・・それらがどのようなものかで、その社会は変わってくる。

お金が大事、仕事の効率が大事、やるべき事があるという仕事観、そういう観方の人が作る会社は、そういう社会になる。
日本の社会は、概ね上記のような価値観の人が多いのだろうから、そういう社会なのだろう。
が、そういう中でも、元の心の状態・・・などに重点を置く人達が作る会社は、今の日本の社会とは全然異なる社会実態、社会気風が現われてくるのだろう。

お金や、法律や、規則や、常識なども、みんな人間が作り出したもの。
実態のないもの。
本来、ないものだから、いつでも変えれるもの、見直せるもの。

人間の観念の正常化は生涯学究制で。
人間の社会の正常なモデルは、アズワン活動の中で。
先ずは、”一つ”の社会のモデルを作ることで、言葉や観念で表現していても分からなかった実態が触れて感じ取れるようになるのだろう。そうなると、言葉で指し示す実態が実在することにより、理解できる人が増えてくるのだろう。
実態が無い言葉は、何を指し示すのかが不明確で、各自の捉え方になってしまうが、指し示す実態があると、各自はその実態から理解できるようになっていくのだろう。
”一つ”の社会モデルが実在することの大きさを思う。

自分がどういう価値観、考え方で、考え行っているのか、自分の実態を知り、本来の人間の姿(人生の正態)を知り、そう成り合いつつ、真の人間向きの社会を作り出す。
規模は小さくても、先ずはモデルを一つ作り出すことから。
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