職場解放区実現に向けて

職場解放区とはどういう地帯を指すのであろう。

「対立社会のあらゆる誤り、因習的悪循環から、親愛の情と研鑽によって、我々すべての人々を解放する意味」と、『社会革命は如何に成されるか』には書かれてあるが、もう少し考えてみたい。

解放された状態とは、何の束縛も無く、つまり、何も縛られず、押し付けられない自由な状態と言えようか。
何も縛られず、自由な状態で、知性を働かすことの出来る状態ということになるのだろう。
解放された人とは、何も縛られずに、知性を働かせれる人。
解放された職場とは、人を縛ったり、押し付けたりすることが一切無い。つまり、そういう縛り、執われから、一切解放された地帯。

先ずは、自己革命により、自らを一切の束縛から解放するのが出発点になるだろう。
自己革命を経た人達の主体的実践ににより、社会変革に向かう。
しかし、周囲の社会環境は、縛り・執われ(規則・金・常識・責任・義務・権利などなど)で組み立てられたものばかりであるわけだから、そういう中で、そういうものに縛られず、そして、それらの縛りを解放に向けてやっていくには、親愛の情に基づく知性を存分に働かせていく必要がある。

全てのことに対して、「やらなければならない」ということから解放されて、やってもいいし、やめることもできる、やらなくてもいいというベースで考えていけることだろう。
もし、やることにしたとしても、「これをやるには、これはやらなければ・・・」という、「やらなければいけない」という考え方で組み立てていくのではなく、どれだけ、楽に、効率的にやっていけるかに知性をもっと使っていくことではないだろうか。
やると決めて、それを成り立たせていくには・・・というのに知恵を使うのではなく、やるのだったら、如何に縛られること無く、小費・小労・多収・豊産でやれるかということに知性を使っていくことだろう。

忙しい、沢山やることがある、色々声がかかる・・・そういう状態だと、何か充実感があったり、達成感があったりする場合があるが、本来の人間生活から見たら、どうなんだろう?と思う。

急所を押さえることで、余裕がある状態、何時でも変われる、やめれる、つまりは解放された状態で仕事ができる、そういう職場というものをもっと探ってみたい。
職場解放区とは一体どういうものなのかを、実際に即しながら、知的に研究していくことが、今必要なのだろう。
職場解放区を考える | - | -