「個々人主義」を考える①

「社会革命は如何に成されるか」の資料に、人類のあらゆる対立・闘争の原因として、「自己及び自己の周囲のみの利益幸福を追求しようとする個々人主義」が取り上げられている。

「自分さえ良かったらいいんだ」、「自分だけ幸福になればいいさ」というような利己的な心の人は、個々人主義と分かりやすいのだろう。
一方、「みんなのため」、「会社のため」、「国のため」、「世界のため」と、一見、自分を無くし、世のため、人のためという気持ちの人は、個々人主義とは見えないのだろう。
だが、我が家、我が学校、我が会社、我が国が良ければという、「自分が」という枠が広がっただけの、個々人主義ということでは、質的に変わらないのだろう。
しかし、そういう人の希うところは、そんなところではなく、みんなが良くなるようにという心根の人もたくさんいるのだろう。が、そう希っていながらも、希いとは逆方向に行ってしまっている場合も多々あるのだろう。
「ヤマギシ」でやってきたこともそういうことなのかもしれない。
そうなる原因の解明をしなければ、いくら「希っていてるんだから・・」とやっていても、それだけでは個々人主義から脱却できないのだろう。

今、生涯学究制の自分を知る基礎コースでやっている、「自分が思っているという自覚」とか、「実際はどうなっているか」というところに目が向くというテーマとも関連するのだろうが、自分が良いと思っていることが、「自分が思っているだけ」という自覚がなく、「それが良いことなんだ」とするところから、心ではみんなのためを希いながらも、キメツケが生じ、人への押付が始まる。「自分の意見」ということにとどまらず、「良いこと」という幻想、妄想が生まれ、人を人と見れない、人を裁く、縛る世界に入り込む。「みんなのため」という気持ちで、個々人主義の対立・闘争の世界に入り込む。
そこの自覚が無い限り、「みんなが良くなるように」とか、「対立なしでやろう」と思っても、できない。
また、「良い」としているから、自分を省みることも出来にくいし、相手にテーマがあるとなりやすい。

アズワン、一つ、みんなと共に、全人幸福・・・と希いながらも、逆方向に行ってしまう、そのメカニズムの解明と、各自がそこを自覚し、検べていける態勢に入る、そこが、社会革命を成していく上でも、先ずは第一段階であるし、一番力が要るところなのかもしれない。
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