お金について(B君へのメール)その5

お金の要らない間柄ってあるよね。家族は一番分かり易いと思う。子供が、お母さんの作ってくれたご飯を、一々いくらかな?なんて考えない。お母さんも、子供に対してしてやったことが、一時間いくらだ、なんて考えない。もちろん、お父さん、お母さんは、買い物に行ったりして、お金を払って何かを買ってきたりするんだけど、現実社会との接点ではそうやってお金のやり取りをしているわけだけど、その論理は家族の中には持ち込まれないよね。子供はタダでご飯を食べ、おやつを食べている感覚じゃないかなぁ。いや、実際にはお金を出して買ってきているからタダじゃないと言う人もいるかもしれないけど、それはお金から見る論理で、子供の実感からは、タダという感じじゃないかなあ?(大きくなると、お金の論理に毒されて行っちゃうけどね)
そういう感覚でやれる空間って大事だし、そういう空間を少しずつでも広げて行きたいなと今は思っている。
以前の○○でやっていたのも、そんな感じがあるんじゃないかな。参加費は一応払っているけど、○○の中では、タダ働きだし、いくら食べても気兼ねはないし、仕事してなくっても、食べる時には咎められないし・・・。
今、さぬき兄弟というお店に行って食べる時、お金を一切介在しないでやろうということでやり始めて、なんかすごい開放感があるんだよね。(ま、これも感じだから、中身をもっと調べたいけどね)こういう空間から感じるものも大きいし、次が描けてくるし、こういう試みはほんの小さな試みなんだけど、一角から拡がっていける質があるように思ってもいます。これから、これもよしとしないで、検べながら、こういう空間を拡げていきたいものだと思っています。(つづく)
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