「完全専門分業」を探る メモ④

経済研究会で、「完全専門分業」を探ってきているが、社会のこと、経済のこととして探っているのだが、どうもこれは、心の世界のことが解決しないと、実現しないことだということが、だんだんとハッキリしてきているように思う。

形で、足りないところに水のように周りあっている姿や、そのことのみに専心没頭している姿など、いくら描いても、それは形のこと。
何かの事業を、「完全専門分業でやろう」などと言ってみても、完全専門分業ができる、そういう心の世界の人でないと、それは実現できないということだろう。
そういう心の状態でない人がやっても、それはいわゆる分業の世界。今の社会でも、いわゆる分業で成り立っているではないか。経済優先の原理の中では、そこが最高効率で得られる分業社会は出来ている。
完全専門分業と、そのような分業の異いは?

自分の目的を知った人が、自分の仕事の目的を知り、そういう心の世界で成そうとする仕事。
そういう人が、本来の仕事に専念できる仕組みが完全専門分業社会、経済ということになるのだろうか。
そういう人の成す仕事は、他の人が本来の仕事に専念できるように齎していく。そういうものなのだろう。
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