我執の研究

今日、「我執の害毒」について究明する機会があった。

今までも我執についてはあれこれ研究してきたこともあるし、無我執体得と取り組んだこともあるが、我執とはどういうものか、我執の害毒ってどういうものか、我執はどのようにして形成されるのか、我執はどうやったら取り除けるのか・・・・と、色んなことが究明していきたいテーマとして浮かび上がってきた。意外と、我執について、あまり究明してきていないのではないかと思った。何となく、我執は戦争や争いの元だ、我執があると話が聴けないとか、ま、そういうことくらいで、だから、我執はよくなくて、だから、無我執にならなくっちゃ・・・みたいな短絡的な捉え方で、あまり我執そのものの究明をしないで、我執を無くそうと努力してきたような感じだ。

癌だったら、自覚症状が出てなくても、発見されたら直ちに処置をするように動くだろう(処置の仕方はいろいろあるにしても)。癌があるということは、人体に悪影響があることは自明のことだからだろう。
我執があった場合、それくらに人間の幸福に悪影響があるという認識も薄いのかもしれない。自覚症状が無く、結構楽しく暮らしていても、我執だらけの場合も多々あるのだろうけど、現象界が楽しかったらそれでよいとなって、我執の方はほったらかしの場合が殆どかもしれない。
ある文章に「我執の害毒は殺人狂よりも悪質なり」というのがある。殺人狂がもしいたら、社会の大問題になるのだろうが、そこでは、我執の方が殺人狂よりも悪質だと指摘する。それほどにも強調して指摘する「我執」とはどういうものなのか?その「害毒」とは、どのような実態なのか?それが何を引き起こしているのか?そういうことを具に検べてきていないと思った。そこをもっと解明し、それがどのように形成されるかを検べることで、その対策や、取り除き方などももっと鮮明になってくるのかもしれない。

研究を進めているが、今年はさらに「我執」ということに、焦点を当てて研究を開始していきたいと思った。
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