内観 考察メモ⑤

面接者の態度、あり方について。

内観では、1時間半から2時間毎に、面接者が屏風のところに来てくれて、「今の時間、誰に対しての、何時の頃を調べてもらいましたか?」と聞いてくれる。面接時間は、3分から5分ほど。しっかりは聞いてくれるが、ほとんど何も言わない。たまに、軽いアドバイス程度のことは言ってくれたり、話す内容について、軽く質問をする程度。

内観という方法の基本的な考え方から来るのだろうが、その人に内在する人間本来あるものに対する信頼があるようだ。浄土真宗の身調べという方法から来ているから、「どの人にも仏性がある」という表現も聞いた。
だから、本人がやる気がない場合は、引き止めたりはせず、又やる気になった時に来てもらうという姿勢のようだ。
調べるのも、あくまでも、その人のやる気を待つというのは徹底していた。
僕と同室の同年齢の男の人は、4日目から5日目くらいは、全然考える気がなくなっていたようで、傍で聞いている僕の方が、「この人大丈夫かなぁ?」とちょっと心配になってくるような感じ。だが、面接者の人は、一貫して変わらぬ態度。「しっかり調べてください」とは声掛けるが、それ以上のアドバイスは特に無し。願うものはハッキリあるが、あくまでもその人に任せるという態度は、なかなかのものを感じた。

面接者の話を聞く態度は、全て受け入れる、評価しないという姿勢も一貫していた。
自分に対してもそうだったが、隣の人に対しても、テープでの面接の記録などを聞いていても、どんな話も、感情を入れず、そのまま受け止めようという姿勢は、ハッキリしているように感じた。そういう中で、安心して、自分を調べられるのは大きいと思う。

態度とも関係するのだろうが、調べた結果に重きを置かないで、調べていくこと自体に重きがあるというのもハッキリしているように思った。
調べていくと、色々な自分が見え、感情が高ぶったりして、面接者に話すこともあるのだが、そういう場合でも、しっかり受け止めてはくれるが、それはそれとして、あっさりと、「次は何時の時代の、誰に対してを調べますか?」と問うてくれて、感情の高まりから、はっと我に返り、次を調べていこうとなっていった。
調べて、感情が高まったり、泣けてきたり・・・という現象面のことで、喜んだり、ダメだとしたり、そういうことには全然行かないというのは感心した。

「面接では、調べたことを一々全部話さなくていいですよ、あくまでも自分を調べることが目的ですから」と、声もかけてくれたが、何のための面接かというところがはっきりあるのだろう。
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