2ndCSS「社会・人間・心の“豊かさ”を探る」~科学技術の先にあるものとは~《4》



2nd Crossover Study Session (CSS)
「社会・人間・心の“豊かさ”を探る」
~科学技術の先にあるものとは~ 《4》


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第1回 プロローグ
第2回 何のための研究か? 専門化し細分化している現状《1》
第3回 何のための研究か? 専門化し細分化している現状《2》
第4回 何のための研究か? 専門化し細分化している現状《3》

内藤 これ迄はね、この設計はアメリカの偉い先生が作ったこの式を使うんだと、私の時代でもまだそうやって教えられました。それを覚えて使ったら日本では偉くなるという図式ですね。しかし、日本の社会や自然の条件に合わないことがたくさん出てくる。だからもう一度現場から考えるしかないですね。でも、現場とは切り離された“学問”にして、狭いニッチに切り刻んで、独自の門を立てるのが専門家だとされてきました。その方が楽なのでね。だからそもそも問題解決学ではではないんですね。

真保 そのこと自体が目的、学問することが目的みたいになってしまっているってことですか?

お墨付きを出すための研究?

内藤 はっきり言えばね、論文をなんぼ書いたかだけが評価ですよ。しかも論文の中身なんて、実は役立つものなどあまり想定してこなかったので…。誰もやっていないことだったら、それがオリジナルだみたいな。バカバカしくて誰もやってないものを扱って、オリジナル論文だと言い張ったりする。

真保 日本も江戸時代には、和算のコンテストみたいなのがあって、相当高度な数式を駆使して競い合う市井の数学者たちがいたらしいですけど、そんな感じかな。

内藤 まだあれは意義があるかもしれません。最初から実用は考えていない、知的ゲームみたいなことで、難しい式を解いたっていうのが面白いですよ。最初から、「何に使えるのか?」は意識も期待もされていない。そもそも自腹で楽しみでしているので、他人が文句を付ける理由がない。けど、いまの大学の研究などは、「役立つことを訴えて」、国の税金をもらってやるわけですからね。

臨床・実学と言ったら工学などはそうだし、農学もそうですよね。実学のはずなのに、日本では実学として育って来なかったのですかね。未だに出来上がってないのではないですか。だから高専や農専の方がいま改めて人気が出ているのでは。大学は、その背後にある自然の原理とか科学哲学を深めるべきでしょう。

真保 だから結構、たくさんの人が今大学を卒業しますけど、企業なんかもあんまりそれを重視していないですよね。期待していないというか、どっちかと言ったら、会社に入れてから再教育する、みたいなのが当たり前になってます。

内藤 昔から企業はそう公言してきましたね。オンザジョブトレーニングと言って、実際のジョブにあたってトレーニングする。それもさっきの真保さんが言われてたグラスゴー大学だったら、そういうことで学生にとっても実学になるでしょう。

面白いですよね、テレビでも新聞でも見ていると、あの権威が役立つわけですよ。なんとか大学のなんとか教授が言った、ということでお墨付きが得られる。教授の中には、お墨付きを出すんやから見返りは…と自ら要求した人もいましたね。そうやって、業者との癒着が生まれる構造になっていたのですよ。業者も何とか売り込もうと必死なので、その時には権威のお墨付きがどうしても欲しいんですね。

真保 その問題解決っていうことですけど、まず問題とか課題があって、それを解決して、よくしていきたい、という出発があるじゃないですか。
ただね、今でもここで、まだ僕らなりの研究なんですけど、やっているのが、
「人間がどうしたら快適に幸せに生きていけるか?」
みたいな課題が先ずあって、次にそれを阻害している要素は何か? まあ問題解決みたいな、そこから入ってきてるんですけど、なかなかね、ここでやっているようなことを、“今の学問のどの分野に当てはまるんだろう?”みたいな感じで考えた時にあんまり当てはまらないと思うんですね。

それで、そのやっぱり学問というか、テーマが人間についてとか、社会についての基本的な研究も世界中でいっぱいやられていて、それも必要だと思うんですけど、それを問題解決の方に役立てる、そこら辺がね、どんな風にいったら成っていくのかなと考えるんです。実際のこの社会に、今いっぱいいろんな研究をしてる人たちがいるのに、それがなかなか実際の人間、生活、社会に役立たいみたいな……。そこを何とか出来ないかなと思うんです。

内藤 私もそこを一貫してやってきたつもりです。真保さんの願っている辺りね、よく分かります。普通に考えたらいろんな専門のスキルを持ってる人はいっぱいいる。

真保 いっぱい、いますよねー。

専門化が集まっても総合研究にならない?

内藤 ですから、専門の人らを声掛けて呼び集めてとやるわけです。私もかなりの研究費を頂いて、先ず最初は呼び集めるわけですよ。その研究費を提示したら大抵の教授でも寄ってきます。どの人も研究費欲しいですから。ただし寄ってくるのはいいんですけど、そのままお任せにしていると、総合研究のはずがね、一緒に知恵を出し合うのではなく、“自分の巣穴”に持って帰って、その中でそれを消化してポイっと糞… ではなくて、成果と称するものを放り出してくるわけです。それで何を言うかというと「すごい研究レポートだから、これ使ってお前ら解決したら…」と、総合解析を名乗っているのだろう、とくるわけです。
でも誰かがそれをやらないといけないんですよね。そのお遊びの結果みたいなものを集めて、目的に合わせて成果らしい形にするのを、私がやって来たんですけどね。

しかし最初からね、「これはこういう目的だから、その中でこの部分を分担して一緒にやりませんか?」と言ったら大抵やりません。出来ないんです。そんなトレーニングしてないし、そもそもそんなのは研究ではないといって、意義を認めてない。「そんなんでは論文は書けない」と、こうなるわけですね。だから、それで論文になるような本当の学会をつくればいいのだろうと、頑張りました。その学会は今も環境分野では中心的なものとして続いていますが、私の目指したようなものからは大分外れてきていますね。

真保 まずね、そうなんですね。最初から目的が違う…。

内藤 それで何十年、かなりの研究費使ってやって来ましたけどね、全部ほとんど役に立ちませんでしたね。共にこの問題の解決にという方に行かない。それぞれの巣穴から出られないんです。

小野 いかないんだ。それだけの専門家が集まっても…。

内藤 だからその体質がね、能力とか何とか、それ以前に体質がね、そのままではどうにも成らんのです。

小野 そうですよね、能力はきっとね、みんな相当あるんでしょうね。

内藤 そう、皆それぞれにはね。ところが、そういう育て方をされてないし、そんなことは研究ではないっていう自己増殖した価値観が頑なに邪魔をする。

小野 なるほどね、問題や課題の解決は研究に入らなくなるんですね。

内藤 問題を持ってアタックするいうのは研究じゃない、自分のアカデミック・インタレストでやるもんだと。

小野 それも、今の学問の系図の中で、ですよね。

内藤 そういうことですね。

小野 それから出ると言うのは…。

内藤 あー、ないですね。出たらもうお前は何しとるんだ~!ってね。

小野 もし、そこから外れたら?

内藤 そう異端です。もちろん出世もしないし、偉い先生にはなれません。

小野 なるほど。そっかそっかあ~。

真保 でもホントにここでは僕らはそんなに専門ではないから、世界中のそういう研究者たちに、もっとその“人間幸福”について、みんなが願う“人間について”“幸福について”、知恵を持ち寄ってもらって、それで解決していこう、っていうのがね、大きな願いではあるんです。

内藤 まあそうでしょうね。



幸せの研究のプラットホームを

真保 それで、そういう機会にもこういうね、今日やっていること(2ndCSS)なんかもそうかも知れないですけど、ここがね、アズワンが、まあ一つのプラットフォームみたいになって、研究者が集い、知恵を結集して世界をより良くして行ってもらえないかな―、みたいな。
そういうのが基本的な考えとしてあるんですけど、そこら辺をね、どうしたら実現に近づけていけるかなあと思うんです。

内藤 できあがった学者はなかなか難しいでしょうねえ。

真保 じゃあ若い学者はどうですか?

内藤 若い学者ねえ。やっぱり、突破口はそこかも知れない。問題解決の総合解析やれるようにするにはって、先ず最初に私が手掛けたのもそこでしたね。
「私はこういう説、立場をとっているから、よかったらウチの研究室へ来たらどうか」、って声掛けてね、「それ面白そうやな」って学生が 京都大学にいる間に寄ってきたわけです。それがまあ案外たくさん居てね。今でも繋がりあるし、私と一緒にやってくれてる者もいる。皆さんもご存知のあの連中ですね。

片山 K君、I君、Y君、Aさん……たくさんいましたね。

内藤 そんな変わったこと言う先生に付いてきて、そこの面白味を見つけようというのでまずフィルターが掛かって、それで残った連中と研究室で一緒にやってきたんですね。最後まで残った何人かはそれを身につけて、それぞれ現場に就いていきましたね。省庁とか県庁とか大学、研究所やらで重用されたりしてね。現場に即して、いい仕事、大きな仕事してる者もいますね。

片山 みなさん、それぞれにすごい大きな仕事をなされましたよね。

内藤 京都大学に招かれた時に、そういう若い子たちが来てくれて、その中でも私にまだ付いてきて今一緒に仕事をしているのもいますが、それはもう私を越えています。今みたいなこと全部分かっていてくれます。自分から先行して、現場で問題解決に取り組んでます。だから、社会的にもすごく信頼されています、現場の人たちからもね。そうなったら私でなくて、彼らを名指しでね、それは教育職に携わったものとして嬉しいですよ。

今そういう専門家が必要なのは明らかです。「内藤先生に来てもらうわけに行かんから、先生のお弟子さんでそういうこと出来る人を推薦してくれないか」、という依頼がいっぱい来るんです。
残念ながらすべての依頼に応えるほどはいないです、人材がね。私のとこには数人いてくれるけど、それぞれ現在のフィールドもあるし、テーマを持って計画の下にやっていますから。それ以外としては、自分で起業してコンサルとして引き受けてやっているのもいますが。

片山 そうか、総合解析っていうことからね、今そういう視点で現場は人材を求めていらっしゃるんですね?

内藤 そうそう、そういうこと出来る人間が欲しいって、当然言いますよね、現場ではね。
残念ながら。ほとんど人材いないというのが現状です。過去には、民間で適当に作ります。
ウチの会社はプラント作ります、ゴミの焼却炉作ってますとか。これは売れたらいいんです。あとの影響はあまり考えずにね。そういうような時代はそれでやれたんですよね。学者の役目いうのは、現場とは無縁のお墨付け係ですよ。

小野 名前貸してたわけですね。

内藤 名前貸して、見返りもらうというのが露骨な人もいたようです。先生にはどんなに貢いだか、今では悔やんでいる企業担当者の方の話を聞いたことがあります。でもそういう時代はもう終わってますよ。まあ残っている分野も、まだまだあるでしょうけどね。
少なくとも、本当に我々がやろうとしている新たな社会づくりの課題だとそんなんでは出来ません。だけど残念ながら、そういうことやれる人いますかと訊かれたら、今でもあんまり期待しないでと言うしかないですね。自分の巣穴に持って帰って、論文をポイっと放り出して、という古い体質はまだ大勢ですから。

真保 ずっと、今のお話聞いてても余計に思いますが、僕らも、やっぱりアプローチするのは、古い体質から抜け出た柔軟な感覚の人たち、或いは若い世代だ、っていうのがハッキリしてる。

内藤 そうでしょうね、そうだと思います。
それで若い世代って価値観がだいぶもう変わってきていますね。ただ上の人に従うんでなく、面白いことをしたい、といったね。
しかもそれ、自分がというだけでなく社会的に面白かったらいいやないですか、っていう人が育ってきてますね。
ここに出入りする若い学者でもけっこう、出てきてるでしょ。

片山 さあどうなんですかねえ。まだそんなに若い学者って、これからかなあ。

真保 そうね、これからですね、そういう人たちのプラットホームづくり。若い世代に、少しでもそういう関心を持ってもらえるようなものにしていって、来てもらえるようにしたいな、って。

内藤 来ると思います。時代の変化に若い人は感受性がありますから、期待したいですね。ただ、それを育てる側が、むしろ古い世代の知識と価値観で、再生産するのが問題です。先生の再教育が一番先かもしれませんね。

 つづく



出席者 内藤正明(京都大学名誉教授、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターセンター長)
    真保俊幸(ScienZ研究所)
    小野雅司(ScienZ研究所)
    坂井和貴(ScienZ研究所)
    片山弘子(GEN-Japan代表)

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