自覚の次に来るもの・・・

「仕事などよくできる人」「能力など高い人」「意見など強い人」
自分を知らない(自覚がない)のは、自分を通そうとする。
人より自分が偉いかのように威張ったり、人に指図したり、その場を仕切ったりする。
人を責め、人から指摘されると感情を害する、怒る。

「自覚」の重要性が明らかになってきた私たちには・・・、
自覚のない(自分を知らない)人が、仕事ができたり、能力が高かったり、意見が強いなどの理由で、人に指図したり、運営や段取りに自分を通そうとしている姿が、人として如何に辱しい姿であるか、実感できるでしょう。
でも、旧来社会では、政治家とか有名人とか権力者・実力者に、そういう人がとても多いと思います。殆どの社会問題、組織・団体・会社・・・政界・財界、あらゆる活動を狂わせている原因はここにあると思います。

やや、きつい表現になりますが、言い換えると・・・、
社会問題の多くの原因は、「自覚のない人を幅らせている」ということです。
このことは、「自覚」があるか、ないか、ということに関心がないと観えないでしょう。
「仕事などよくできる人」「能力など高い人」「意見など強い人」がいると、事柄がよく進みますから、多くの人から重宝がられたり、評価されたりして、一時的には良く見えますが、
「自覚のない人を幅らせている」組織や集団は、必ず破綻すると思います。
このことは、自覚から始まる人の幸福を重んじるのか、事柄がうまく進むことを重んじるか、の違いとも言えるでしょう。

「人間性に適った社会を」 【 第四章 理想を実現する 】 の中でも 繰り返し述べましたが・・・、
知性や心の成長に応じて、つまり、自覚・人格の育ちに応じて、仕事や役割に就くべきだと思います。 そこを外して、能力や技術や知識・経験を振り回していては、自覚は遠ざかるばかりで、当人のためにもなりませんし、決して良い社会気風はできないと思うのです。
人をベースにした社会、人を大切にする社会、人の幸福を最優先にする社会などと表現しますが、気持ちや願いのことではなく、具体的に現実的に何をどうしている社会か。
自覚がなくて、力のある人が、偉そうになる社会は絶対にダメです。
そういう人の考えを通させたり持ち上げたりしないで、自分の状態に眼が向くように、
そうして、自分を知るに応じて、他から言わなくとも、自ら相応しい立ち場や持ち場を見出して納まり合う社会です。統制の要らない、保ち合いで調和する社会は、まず自分を知り、
人(人生)を知ることからでしょう。
ここがハッキリすると、日々の暮らしや職場などで、やっていることが明確になり、アズワンコミュニティは、どういう社会のために、日々何をやっているか、より鮮明になってくるでしょう。
人 間 観 | - | -