すべての現われは・・・?

・・・元の心の現われ っていうかね。今までの集積の露面っていうか。
すべての現象的な事柄の部分は・・・ね。だから、そこを「どうする・こうする」と言ったってね。
もう、そこは、その場の人が、「良きに計らう」しかないよね。
こちらは具体的な状況も知らないしね。
肝心なのは、「やろうとしていること」「願っていること」が、本当に現われきているのか。
それとも、そう思ってやる精神論的に唱えてただけなのか。
それらの集積が今、実際面に現われてきているということ。
研究所やスクールでやっていることも、実際の活動の基盤となって、現れてきているのか、どうか。研究所やスクールそのものを検証したり見直したりする 資料としての今日の現象面かと思う。現れたものを繕おうとするなんて無駄骨だと思う。

「目的と手段」「will be as one」「会社のための人でなく・・・」「会社側の都合はありません・・・」「やれる人に成って、やろう」「コミュニティ経営・・・」などなど、言ったり書いたりすると、それを「鵜呑みにしてやろうとする人」はいるけど、「本当にどういうことか」と検べて、現実に具体化しようとする活動にはならないんだなと感じている。
やはり、こういう面からも、研究所やスクールの存在が、活動のベースになるには、どうあったらよいかが問われることでもある。

運営や経営について言えば、「検討したことをやる」「出されたことをやる」みたいな体質が旧態依然として続いている感じがする。鵜呑み即実行体質
ホンマに変わり映えせんなぁー。
だから、研究所っていうのも「研究された、やることを出す所」っていう存在みたい。
この活動の本旨はね。「間違いの原因を探究して取り除く」とも言えるし、「頭脳革命」とも言えるし、「知的で研究的な人間ならではの営み」とも言えるけど、
こう書くと、また、すぐに「それやろう」とする体質やね。「それをやろう」ではないんや。
「そう成るような活動」をやろうとしてるんやけどね。
「どうする」「こうする」っていう固い頭では、とてもとても実現できないと思うよ。
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