運営・経営 と 研究所

「人間社会科学研究所」の発足当初から、最も重視しているのは、社会システム
「研究機関」と「実際の社会生活」とが有機的に機能している社会システム
そのようなシステムが機能していること自体が、人々が幸福に暮らせる社会のモデルになるのではないかと考えています。
         日常生活 ←――→ 各種研究会 ←――→ 研究所
<例>
会社経営・事業活動 ←――→ 経済研究会・経営研究会 ←――→ 研究所
家庭生活・子育て等 ←――→ 幸福研究会・専門研究会 ←――→ 研究所
(2004年1月 人間社会科学研究所 趣意書より)
例えば、「幸福についての研究」と「実際の幸福に向けた生活」との有機的な社会システム。
そこには、必ず、「研究機関」と「実施機関」との研究機会が実践されてこそ、実を結ぶ。
「研究所」と「実社会」とが遊離したものでは、決して実を結ばない。



現状から見て、これからの世代である20代~30代のメンバーによって、
「研究持ち味の人」と「運営・経営持ち味の人」で分担した場合。
おそらく、「運営・経営持ち味の人」が主導権を握って、
「研究持ち味の人」の言うことには 殆ど 耳を貸さなくなると思う。
理屈はそうだけど、実際はそうはいかないんだよ。
現場の実情を知らないから、そんな理屈を語れるんだよ。
・・・こうして、多くの研究機関は有名無実化していく。
そこをやってる個々の問題じゃない。
知的に情的に進んでやまない社会を願い、この社会を愛し、社会システムを育てていこうとする心の結束があるか、どうか
社会システムが軌道に乗るまでは、徹底してそこに懸ける人がいないと、簡単に旧来観念に圧倒されて流されてしまう。
研究所というのは、費用を喰うばかりで何も生産しない立場で、運営・経営の方は経済を握っている立場で、旧来観念でいくと、研究所は小さくなって、運営・経営の力が強くなるのは当然だと思う。
現状では、たまたま旧来からの人員構成の関係で、
研究所の言うことに耳を傾ける人が多いですが・・・
この旧来観念を本気で、根底から剔抉・払拭しないと、知的・研究的な人間生活、サイエンズに基づく社会運営は決して実現しない。
10年かけてできたものでも、崩れるのは、一瞬だよ。
      さあ、50代・60代の私たちは何をやるか・・・
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