今 住んでる社会

難しい社会に立っていて、やさしい社会をやれる訳ないよね。
働きたいという人を受け入れると、すぐに雇う側と雇われる側という発想になる。相手に合わせてるようだけど、自分の立ち処に合わせてる自覚がないだけ。そういう発想で何年やってたって新しい会社や職場ができる訳がない。新しいもの目指しているつもりでも、旧いものに立ったままの自分で、新しいものやれる訳ないよね。
10年あまりやってきて、進んだ実態ができてきたと言ってもね、
旧来社会に立って、旧来社会との比較を言っているんだと思う。
やさしい社会に立って、それにどれだけ近づけたか、どれだけ実現できてきたか、
というのと全然違うよね。
やろうとしている社会を知らない自分を知る。
知らないものをやろうとしているということ自体、変でしょ。
実は、やろうとしていないんだよね。分からないからやれない。
旧式の観念で聞きかじった、それっぽいことをやろうとしているだけ。
時には、手っ取り早く、既成常識観念を振りかざして相手を説き伏せる。
自分から出てくる考えや感情を修正しながら、頭で考えたことをやろうとしているようでは、
本ものはできないし、人にも伝わらない。
対立心を持って、平和を勝ち取ろうという人と、平和活動の話できない。
労使・雇用・上下感のままで、人のための会社やろうという人と、会社の話できない。
活動や会社の前にやることがあるよね。
まず、自分がそうなることだよね。
人や物事が自分にはどう見えてるのか。人の言動が自分にはどう映ってるのか。
理想を描いて、良かれと思って、運営や経営や段取りや人のお世話をやっててもねー、
醜悪社会に立っての自分なら、そういう社会の助長・拡大をやってるようなもの。
先ずは、やさしい社会に立って、自分がそうなって、見て、考え行える人・・・だね。
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