しゃかい ことはじめ 2

「縛らない・押し付けない」ということなんだけど、ホントは、こんなこと、わざわざ言わんでもいいんだけど、今の世の中、縛りと押し付け一色で犇めいているから・・・。
「義務も責任も約束も罰則もみんな縛り押し付けでしょ」って言うと・・・、
「人として社会として必要なことだ」とかナントカ言って、それらを自分の意志で積極的にやるぐらいに染み込んでるから、縛り縛られ、押し付け押し付けられているとも感じないほど・・・、極度の不感症状態が蔓延している。
縛られていないと(義務や責任がないと)落ち着かないという超ドMな人も多い。

「縛らない・押し付けない」っていう、とっても極々自然なことが、なかなか通じない人が多いんだよね。
そうして、ようやく「人と人とが縛り合い、押し付け合うのは変だな」と気づいて、そこに関心がいくようになる。でも、人と人とが縛り合わないで、押し付け合わないで、暮らせるというのは、極々個人的な範囲で、人間生活のほんの一部だと思う。
現状の暮らしのベースになっている社会や組織は、その殆どが、人を縛り、人に押し付けることによって、維持・存続している。権利・義務・責任・契約・罰則などなど。
何度も繰り返してくどいけど、これらを縛り押し付けと感じないぐらいに、「人にとって社会にとって必要なものだ」としている。
人と人との縛り合い押し付け合いは、個々に気づいて、ある程度は解消していけるけど、社会や組織の縛り押し付けは、心の持ち方や考え方くらいでは解消しない。

「縛り押し付けのない社会・組織を・・・」ということになる。
縛り押し付け一色と言えるほどの周囲・社会の中で、先ずは、規模は小さくても縛り押し付けのない会社・学校・組織・社会を実現しよう。
それができたら、個々の縛り合い押し付け合いなんて、放っておいてもいいくらい大した問題じゃない。かわいい駄々っ子みたいなものだね。
でもねぇ。「権利・義務・責任・契約・罰則などのない社会や組織」って言うと、とても過激な感じを与えて、怖れられ危険視され、トンデモナイ!と言って怒り出したり、つぶしにかかる人もいるかもしれない。それくらいまでに今の世の中にとっては、革命的なことだし、既成社会への反逆的な活動とも受け取られかねない。
ここで実現しつつある実態に触れてもらえば、とっても温和な人たちのかつてない平和な社会活動ということ感じる人多いと思うけどね。
こんなのは、社会ということでは、ホンの序の口の振り出しみたいなもの。
縛り押し付けがあるという方が狂ってるんであって、縛り押し付けがないなんてことは当たり前すぎること。それが、既成社会とは天と地ほど違う実態というだけのこと。だからといって新しい社会ができた訳でもない。(うぬぼれないように釘をさしておこう)
ここを強調するのは、とにかくスタートラインに立たないと始まらないという意味でね。
それができて、そこからが、本題です。
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