心理面のこと 2

人の内面を大まかに言うと、「屈折している」か「素直」かということがあると思う。
言い換えると「汚れている」か「澄んでいる」か、あるいは、「不健康」か「健康」か、とも言えるかな。
「屈折している」とか「素直」とか言っても、どっちかというものでもなくて、程度の問題で、どの程度「屈折している」か、どの程度「素直」かという感じかな・・・。
こういうことって、自覚しにくい場合が多くて、自分自身の内面がどうなっているか関心が湧いて、よく調べて観ることによって、自覚も伴ってくるような気がする。

努力家で、自分の持ち場や得意なことに熱心に取り組んで、高い成績や実績をあげて、人の役に立っているような人の場合・・・。
その人の内面に「人から認められたい」「評価されたい」、あるいは「周囲の人を見返してやりたい」などの動機の人がいるけど・・・、
ことさらに「認められたい」「評価されたい」という心理は、「素直」なものじゃないよね。「見返してやりたい」というのは「屈折」したものがありそう・・・。
このような心理状態を今の世の中では異常とは思わず、成績や実績を見て喜んだり評価したりしていることが多いと思う。
それどころか、努力したり頑張ったりして、成果や実績をあげる人に対しては、その努力や頑張りを誉め讃えたりする。
努力や頑張りそのものを異常だと言っているのはなく、その内面の動機はどうだろうか、ということです。

このような例で、認められなかったり評価されかったりした時・・・
その人の心境や~如何に~? より一層、努力したり頑張ったりするのかな? ふて腐れたり落ち込んだりするのかな? いやいや、その元の元に、なぜ、「認められたい」「評価されたい」という気持ちが湧くのか・・・と、そこが問題。

その人の生い立ちや育ってきた環境からの体験の中で、何か「そのままではいられない」「そのままじゃいけない」というような嫌な体験があって、その反動からそういう動機が出ている場合がある。(劣等感・上昇志向・ハングリー精神・反骨精神・・・?)
政治家でも、事業家でも、学者でも、あるいは身近な人でも、自分に対しても、どういう動機で一生懸命になっているのだろう・・・?と、よく観てみることだと思う。

見た目に立派そうな人を評価するのは、表面上の出来映えを重視する今日の価値観で見てるから。
人として、本当に心の底から安心・安定した内面の充実を考えると、そのままで不安なく、人目を気にしたりしなくてよい、おおらかな人になっていくことだよね。
「おおらか」っていうのは変かな、素直で澄んでて健康な内面でこそ、純粋に物事に打ち込めると思うんだよね。

成果や実績をあげて役に立つことが、周囲や当人にとって必ずしも有益でない場合があるからね~。どんなに「良い」と思われる人や行為でも、内面の動機が「屈折している」ものと「素直」のものとがある。
内面を観ないで、「良い人だ」「良い事だ」と喜んではいられないと思うんだよね。
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