心理面のこと 1

思えば、ここへ来る(10年前)までは、理屈として読んだり聞いたりして、「そう見るのか、そう考えるのか」という知識的なものはあったと思う。そういうものがあったおかげかもしれないけれど、ここへ来てからの10年で、ホント生身の人の問題に触れた気がして、以前に読んだり聞いたりした知識的なことも相まって、「なるほど、なるほど、こういうことなんかな」と、得心することも多くあった。

ここで、思うことから書いていくと、「一つの見方」とか「一人の捉え方」とか「そういう考え方もある」という程度に受け取られるかな、と予想するから、自分としては、「そうではないんだ、人間の本質、社会の核心を見究め、把握しようということなんだ」ということを、初めに強調したくなる。

なぜ、人について、人の内面について、言わねばならないのか、言いたくなるのか、というと、これが人間の根幹で、社会の根幹で、人間がすることだから、当たり前だけど、人間の根幹、人間の成り立ちと言っても、ホントに内面の状態を重視されてないように思ってね。
そこを重視していないということは、つまり、人間を重視していないということでね。
だから、社会そのものが人間を重視していないということになる。
産業でも教育でも福祉でもスポーツでも芸術でも、「人間を重視していない、なんてことある訳ない」というかもしれないけれど、いま言われている人間が、人間の根幹・成り立ちを軽んじた、表層・上っ面の人間問題ばかりに終始して、人間を大事にしているかのように思っているからね。

政治でも、事業でも、事柄ができる、進むということをやる訳なんだけど、できる人、進める人に重点をおいて、できる人、進める人が主になっている。それで、事柄ができ進んではいくんだけど、そちらに主体が移ってしまって、肝心の人間そのものをないがしろにしている。
政治でも、事業でも、人間そのものに主体をおかないと、事柄主体になってしまう訳だけれど、人間そのものという捉え方が漠然としているから、そして、「この事ができる進むことが人間にとって大事だ」みたいな根強い価値観があるから、なかなか人間そのものに主体が移らない。(教育でも福祉でも人間のためを思ってやってはいるんだけどね)

もう少し具体的に言うと、福祉・教育の現場で誠心誠意それに没頭して、我を忘れて人々に尽くしてお世話している人が、ある同僚とか近隣の人の一言に引っかかって、もうその人とは口もききたくない顔も見たくないというほど感情的になっているという例がある。
この例で言うと、そういう状態で、福祉・教育の現場で人に尽くしてもなあ・・・、
悪感情・対立感情を内在させたままで、人に誠心誠意尽くしているのか・・・、それが誠心誠意っていえるんかな・・・と。見かけは良いかもしれないけれど、その人の内面はどういう構造になっているのだろう。
目には見えないけれど、肝心要の福祉・教育の現場で何を振りまいているのだろう・・・?自分の内面の問題に重点をおかないで、本当に福祉・教育に専心できるのだろうか・・・などなど。

このような例をあげれば切りがないだろうけど、政治家でも事業家でも先生と呼ばれる立場の人、多くの人から評価の高い人・・・などなど、その人の内面の状態はどうなのだろうか?・・・と。そこをないがしろにして、良い人だ、立派な人だ、実力者だとして、事柄ができたり進んだりすることを評価していても、決して、人間の内面・根幹を大切にする社会にはならないし、その人そのものが本当には幸福になれないよね。

周囲・社会の既成の価値観で、誉められて、自分もその気になって、良いことやっているかのように思ってしまう。最も大切な内面の問題を抱えている自覚なく有頂天に浸っているような、浅はかな人の姿を晒している。
人 間 観 | - | -